鈴木俊貴が話題作について語る(撮影/朝岡吾郎)
「好き」を究めた人である。現在、東京大学先端科学技術研究センターに世界初の〈動物言語学〉研究室をもつ鈴木俊貴准教授(41)は、身近な虫や魚を捕まえては飼い、観察するのが大好きな少年だった。
「両親は、僕のことを自然の中で育ててくれました。父は片道2時間くらいかけて通勤していたそうですが、川や林が近くにあって、子供の頃は毎日、好きな生き物たちを観察できた。この経験があったからこそ、今があるんだと思います」
そして「鳥の研究ができる大学」に進んで3年目の冬のこと。当時1泊500円だった大学の山荘を拠点にシジュウカラやコガラの観察に励んでいた彼は、〈餌の場所も天敵の来襲も、鳴き声で伝え合っているのかもしれない!〉という、最初の気づきを得るのだ。
そんな氏の初単著『僕には鳥の言葉がわかる』には、以来、軽井沢に通い続ける〈鳥語研究〉の第一人者の日常がユーモラスに綴られ、一見地道でアナログ極まりない観察が動物学や人類の未来をも拓きうる事実に、心が震えること必至である。
「確かに『言葉を操るのは人間だけの特権だ』みたいなことはアリストテレスも言っていて、ついついそう思い込みたくなるところが人間にはあると思う。
でも僕が大切にしたのは、普通は誰もやらないくらい長い時間をかけて観察すること。実際に観察してみると、言葉を持つのは人間だけじゃないと気づいたんです。例えばシジュウカラは、天敵の猛禽類を見つけると〈ヒヒヒ〉と鳴き、仲間を呼ぶ時は〈ヂヂヂヂ〉と鳴く。200種類以上ある鳴き声を状況によって使い分けていて、それは彼らの言葉なんじゃないかという今までにない観点を、僕は鳥達から教わったんです。
そこには幼い頃の経験も関係しています。5歳の頃、庭のコガネグモの巣にカブトムシがかかっていた。カブトムシは森の王者だと図鑑には書いてあったのに、僕が見たその光景は全然違った。その時に母の言った言葉が忘れられないんです。『だったら図鑑を書き換えればいい』って。今考えると僕はその時と同じことを、ずっとやってきたようなものなんです」
驚くのはその方法論だ。鳴き声が言葉であることや、複数の単語が組み合わさった文章まであると証明する術は、全て自力でデザイン。そのヒントも心霊写真での〈言葉による見間違い〉や、ルー大柴氏の〈ルー語〉の転用など自在性に富む。
「彼らがヘビを見て鳴く〈ジャージャー〉という鳴き声がヘビを意味しているとどうすれば証明できるのか。仮に同じ音声を聞かせて、地を這う枝をヘビと見間違えたら、彼らはへビを思い描いてそのイメージを枝に当てはめた、つまり概念があると言えるのではないか。動物の言葉を調べるために必要なのは、テクノロジーではなくアイデア。鳥達のことを常に考えているからこそ、ふとした時にパッと閃くんです。
これまで動物は喋らない、喋ってるように見えるのは単なる感情の表われで、人間だけが高度で特別なんだと、哲学者も動物学者もみんな思っていた。それは僕らが自分達の言葉だけが言葉だと思い込み、身近な鳥達の声にすら耳を閉ざしてきたからで、小鳥達が種の別を越えて会話し、助け合う豊かな世界もある。その世界を知らないよりは知った方が絶対楽しいと思いません?」