引退試合を完投で飾る阪急ブレーブス山田久志投手(1988年10月、時事通信フォト)
おばちゃんたちも熱烈ファン
昭和40~50年代の大阪のおばちゃんには、阪急ブレーブスの熱烈なファンが多かった。
パ・リーグ(パシフィック・リーグ)のペナントレースが大詰めを迎えると、
「今年も阪急は強いねえ」
「日本一は間違いないわ」
おばちゃんたちの会話が街を飛び交った。
それは阪神電車の中でも、南海電車の中でもお構いなしだった。おばちゃんたちはそれほど阪急ブレーブスを愛していた。
ところが会話が進んでいくと、決まって怪しくなった。
「山田久志というピッチャーが強いらしいわ、知らんけどな」
「速う走るのは福本豊やんな、よう知らんけど」
もうお気付きだろう。
おばちゃんたちのお目当ては、ブレーブスが優勝したときの「阪急百貨店の優勝記念バーゲン」だった。
リーグ優勝に続いて、日本シリーズでも優勝してくれたらバーゲンは2回もある。これはもうたまらない。ピッチャーは山田久志でも江夏豊(当時の阪神のエース)でもだれでも良かった。
それなら、阪神タイガースが優勝したら阪神百貨店でバーゲンがあるし、近鉄バファローズが優勝したら近鉄百貨店がある。
なんで阪急なのか。
「阪神も近鉄も弱いやん。優勝できんチーム応援してもしゃあないやろ。何いうてんの」
さすがだ。大阪のおばちゃんには勝てない。
こういった熱烈な阪急ファンのおばちゃんたちを除けば、関西のプロ野球のファンは私鉄ごとにくっきりと分かれた。
阪神、阪急、南海、近鉄と4つものプロ野球チームがひしめきあっていたが、電鉄沿線ごとにきれいに“仕分け”されていた。
阪急ブレーブスの帽子をかぶったまま、うっかり近鉄電車にでも乗ってしまうと大変だった。酔っ払ったおっさんは、たとえ幼い子どもでも容赦しなかった。
「こら、近鉄乗るときはバファローズの帽子かぶらんかい。昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか」
周囲の乗客も子どもに同情するのではなく、心の中で秘かに酔っ払いのおっさんに拍手するのだから筋金入りだった。
(第3回に続く)