通学中の1枚。デビューのため地元・岐阜の鶯谷女子高から東京の堀越学園に転校した
YouTube Musicの再生回数では『俺たちの旅』の403万を上回り、『青春の坂道』は1300万を超えている(2025年2月17日現在)。ストリーミング配信の普及で、時代を超えて愛される楽曲となっており、近年は岡田の歌手活動を望む声も数多く上がっていた。
「この世界に入った時は、歌手になりたかった。役者をできるなんて思ってなかったですから。松本隆さん、森田公一さん、都倉俊一さんを始め、作家の方々が素晴らしい作品を書いてくださった。今、たくさん聴いていただけるのも、楽曲の力が大きいのだと感じます」
歌謡界全盛の1970年代、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)では演歌のベテランからアイドルの若手までが勢揃いしていた。番組では、出演者が他の歌手の楽曲をワンフレーズほど歌い、マイクをリレーしていく『オープニングメドレー』が名物だった。
「他の方の曲を歌うって本当に緊張するんですよ。よくトチっていました。歌詞や音程を間違えると、マイクを渡す時のコメントも出てこなくなります。今考えると、すごい番組に出ていたんですね。後ろの雛壇に三波春夫さんや沢田研二さんたちと座っていた映像を見ると、本当に驚きます」
アイドル時代、来る日も来る日も仕事に追われていた。1976年の夏には、初の全国縦断リサイタルを開催。その初日、人生で一度きりの体験をする。