筆者はいわゆる地上波のワイドショーには出ないようにしている。いや、むしろブラックリストに載せられているというほうが正確かもしれないが、あとで編集できる(局にとって都合の悪い箇所はカットできる)録画番組ならともかく、ナマで出演している人間に「ジャニーズ問題をなぜやらないの?」とか、「ナカイ君の話はしないの?」などと発言されては「ヤバイ」からである。
そうした「ワイドショー」のひとつに『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ制作)があり、ナマでは無く録画番組なのだが筆者はときどき出演している。その理由は、スタッフを信頼しているからでもあるが、根本的にはこの番組がこの「伝統」に沿ったものであるからだ。
この番組は、そもそも歌手の故やしきたかじん氏が仕掛けたもので、硬骨漢でもあった彼は日本の報道がきわめて偏ったものだと認識していた。芸能問題だけで無く、政治や外交問題でも東京発の放送ではなにかと「邪魔」が入る。具体的に言えば、官庁の記者クラブに所属する同じテレビ局の記者が「圧力」になる。いや、「邪魔」が入る以前にまさに「忖度」が行なわれ、問題が取り上げられない。
これも具体的に言えば、「記者クラブは報道の自由を阻害している」などという話題がタブーになってしまうということだ。たとえば、二〇二四年の大事件であった「斎藤元彦兵庫県知事のパワハラ問題」も、知事側にまったく問題が無かったとは言わないが、多くの事実が歪められたのは間違い無いだろう。そしてその背景には、県議会と記者クラブの癒着があったのではないかと私は推測している。
やしき氏は、こうした現状に風穴を開けようとリーダーシップを取って「そこまで言って委員会」を立ち上げた。そして制作局に「この番組は絶対東京でネット(一般放映)するな」という条件をつけた。いわば大阪の反東京という伝統を巧みに生かしたわけである。しかし、皮肉なことにネット環境の発達などがあり現在は大阪の番組を簡単に東京で見られるようになった。だから私は申し訳無いが、この番組の歴史的使命は終わったと思っている。
しかし、ほんの十数年前まで「大阪のほうが自由にモノが言える」という歴史的事実は、たしかに存在したのである。大阪朝日新聞もこの伝統に沿ってはいたのだが、「石灯籠」以後やはり大きく変わった。
〈これを機に、〈朝日の論調は〉権力に腰の引けた報道となっていきます。
〈新聞紙法違反の〉判決が出る3日前、「大阪朝日」は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)(永遠につづくことの意味)の皇基を護り」(1918年12月1日付)と、天皇への忠誠を誓う長文の宣言を発表。「我社起訴事件に関しては、只管(ひたすら)謹慎しつゝ天皇の御名に於(おい)てせらるゝ公明の裁判を待つあるのみ」として、全面屈服、恭順の意を表明しました。
「白虹事件」は、日本のマスメディアが天皇制の専制政治と軍国主義に追随してゆく大きな転機となったといえます。〉
(『しんぶん赤旗』2008年8月21日付解説記事より一部抜粋。
〈 〉内は引用者)
私は共産党関係の文献や資料はめったに引用しない。彼らは真実の追求よりもイデオロギーの宣伝を重んじるからである。だが、そのなかに真実がまったく無いわけではない。真実は誰が言おうと真実だからだ。まさにこれが典型例で、やはりジャーナリストは衆議院はともかく、貴族院議員にはなってはいけないと、私は思う。
(第1446回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号