見返り柳(東京都台東区千束4-10-8)/客がこの柳の辺りで名残惜しそうに遊郭を振り返ったことに由来(撮影/小倉雄一郎)
「あの吉原大門跡の街路灯の先が、第1回で花の井(小芝風花)が華麗な花魁道中で外八文字を披露した辺りですね」──江戸時代の吉原遊郭があった東京都台東区を歩きながらそう語るのは歴史タレントの堀口茉純さんだ。同地域には大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の世界を現代に感じられるスポットが残る。
吉原は江戸時代、幕府公認の遊郭として人工的につくられた街だ。当時の街全体のサイズは、東京ドーム約2個分、3万坪弱の広さがあった。
吉原遊郭の名所「見返り柳」は、遊郭から帰路につく男性客が、名残惜しさからちょうど柳の木の辺りで振り返ることに由来して名付けられた。そこから吉原大門跡に続くS字カーブを描く通りが五十間道。江戸時代は茶屋など様々な店が並んでいた。通りがS字のように曲がっているのは、街道の日本堤から吉原遊郭が見えないようにするための配慮とされる。
江戸時代は山谷堀脇の土手に柳があった。現在の柳は模したもので、区画整理などで「吉原大門」交差点付近に移されている(『江戸高名会亭尽』より「新吉原衣紋坂日本堤」国立国会図書館蔵)
「吉原大門前の道は距離が50間(約90メートル)あったことから、五十間道の名が付きました。蔦重が後に開いた書店『耕書堂』はこの道沿いにあったんですよ」(以下、「」内同)
江戸時代の吉原遊郭は「お歯黒どぶ」と呼ばれる堀と高い塀に囲まれており、約270メートル×約360メートルの広さだった。お歯黒どぶは女郎の逃亡を防ぐために築かれたものとされ、第1回にも登場している。
「お歯黒どぶには、吉原で火事が出た時に外に逃げるための跳ね橋が数か所設けられていました。普段は開きませんが、鷲神社の酉の市の日には、その方面の跳ね橋が開放されたそうです」