大谷翔平選手も追悼
「いきなりの大役に、“どうすればファンに喜んでもらえるのか”と頭を抱えていたAさんの姿が忘れられません。人気の兆しが見えたのが、デビュー8年目の2001年。選手と一緒に、志村けんさん(享年70)の『アイーン』を披露したことがきっかけでした」(前出・球団関係者)
その後は、スケッチブックを使った筆談や、ヘルメットを投げて被ろうとする「空中くるりんぱ」などが話題に。そして、グッズ売り上げで主力選手と肩を並べる人気者になった。愛されキャラに押し上げたのは、Aさんのくろうの賜にほかならない。
「ほかの球団のマスコットは、“中の人”が数年ごとに入れ替わっています。重いアレを着てのパフォーマンスは、若くて体力がないとできない仕事。特に、夏場は過酷です」(別の球団関係者)
実際、つば九郎の“外身”は20kgを超え、Aさんは1日の稼働で体重が3〜5kg落ちることも珍しくなかったという。
「ただAさんはやせるどころか、どんどん大きくなり、最近は相撲取りと見紛うほどの巨漢に。それに合わせて、つば九郎はデビュー当時よりふくよかなフォルムに“成長”。その丸みも含めて愛されていたんです。同じ人が続けたからこそ、ファンの心をつかんだ面はあったと思います」(前出・別の球団関係者)
つば九郎はスケッチブックの筆談で、“夜のパトロールに行く”と書くことも多かった。
「Aさんは本当に選手らと酒席を囲んでいました。大のお酒好きで、ビールを水のようにガブガブ飲む。ジョッキがすぐに空っぽになるから、最初から2杯注文するのがお決まりでした。そんな豪快さがある半面、聞き上手で、選手にとっては悩みを聞いてくれる相談相手でもありました。Aさんはチームにとって欠かせない存在でした」(前出・別の球団関係者)
つば九郎はぽっこりお腹をいじられると、必ず次のように答えていた。
「ここには、夢と希望が詰まっている。たくさんためて、みんなに分けてあげる」
※女性セブン2025年3月13日号