これまで被災地に多額の寄付を行ってきた羽生結弦(写真/AFLOsports)
「ぼくのおばあちゃんみたい」
羽生はこれまで、自身が「スペシャル・メッセンジャー」を務める『news every.』(日本テレビ系)の取材で、能登をたびたび訪問。輪島朝市で商売を営む人々と、何度も交流を重ねてきた。
「羽生さんは、話す言葉の一つひとつに、偉ぶった感じが一切ない。“ぼくのおばあちゃんも、こんなしゃべり方だった。おばあちゃんと話しているみたい”って、気さくに話してくれてね。私も、ついツレとおしゃべりしているみたいな気持ちになったよ(笑い)。親切に話し相手になってくれた」(地元住民)
今回の出店は、羽生が地元の人々との交流を深めていくなかで実現した。
「金沢にスケートリンクはあるけど、輪島から金沢までは遠いからね。“スケートはいっぺんも見たことがない”って話していたんだよ。そしたら、羽生さんが日本テレビ経由で依頼してくれて、3月のアイスショーへの出店の話がまとまった」(前出・地元住民)
今回は、輪島の特産品である漆器をはじめとして、干ものや漬けものなどを販売する計5店舗が出店する予定だ。その中の一店舗に、「喜三漆芸工房」がある。この工房を営む喜三誠志さんは、昨年9月21日に発生した能登半島豪雨で、孫娘の喜三翼音さん(享年14)を亡くした。
翼音さんはその日、ひとりで自宅にいた。自宅付近を流れる川で土石流が発生すると、家もろとも巻き込まれた。その9日後、遠く離れた福井県沖で漁師によって発見された──危険を感じた父・鷹也さんとの最後の電話での指示を守り、長袖のジャージーを身につけていたという。誠志さんは、孫娘についてこう語る。
「優しい子でした。地震で店が全焼してからは、翼音の方から言い出して、店を手伝ってくれていました。なかでも、フクロウの絵柄は“かわいいから、店の看板商品にした方がいい”とアドバイスしてくれてね」
地震が起こるまで、誠志さん夫妻と翼音さんら一家は同居していたそうだ。
「翼音は、うちの妻(翼音さんの祖母)の料理を食べて育ったおばあちゃん子。妻は、以前から羽生選手の大ファンで、羽生選手が全日本選手権に出場していた頃から、家のテレビで試合を録画していた。
翼音と一緒に見ることもありました。翼音と一緒に金沢までスケートをしに行ったこともあります。妻が羽生選手の大ファンだということは翼音も知っていましたから、今回アイスショーへの出店が決まって、天国の翼音も喜んでいると思います。きっと、見守ってくれていると思う」(誠志さん・以下同)
誠志さんは現在、アイスショーとのコラボグッズの製作も検討している。
「漆は時間がかかるので確実なことは言えませんが、翼音が好きだったフクロウがスケートをしている絵柄のカップなどを販売できたらいいなと思っています」
復興への思いから結ばれた絆。アイスショーの成功で、多くの人にその思いが広がることを願うばかりだ。
※女性セブン2025年3月13日号