アイドル時代の松田聖子
実際、相沢さんの著書『人生に拍手を!』(講談社)には、「80年代の僕の手帳は、どのページを繰っても、聖子なしには語れません」「彼女のコンサートには、必ず行きました」と書かれています。よくタレントには唯一無二の個性が求められると言いますが、相沢さんは「個性は周りの環境が育てていくものだ」「個性とは、その人ひとり限りの領分のものじゃない」とも書いています。「僕ら(筆者注:事務所のスタッフ)が彼女(タレント)を“汚い水の魚”にしてしまったら、その水の汚さは彼女の歌に現われてしまうと思う。逆に、きれいな水をいつも維持していたら、その中で泳ぐ彼女は、その水の命を歌によって他人に分けてあげられるでしょう」「タレントたちが善の顔だけで表現できるように心を砕くのが、マネージャーの一番の仕事」スタッフの仕事とは単なるお世話係ではなく、スターを作り上げるために不可欠な存在なのだというプロとしての矜持を感じさせます。「人はデリケートなもの」という信条から、相沢さんはダレントと会って話す、コミュニケーションを取ることを大事にしていたそうです。
昭和のやり方にも学ぶべきところがある
しかし、聖子さんと相沢さんが袂を分かつ日がやってきます。全米進出したい聖子さんでしたが、事務所は反対。聖子さんは事務所から独立することになります。その後、聖子さんから何度も相沢さんに電話するなど、和解を望んでいたふしがあるのですが、相沢さんにも意地があり、電話には出なかったそうです。雪解けは、相沢さんが友人から聖子さんのディナーショーのチケットを取ってほしいと頼まれたことがきっかけで、ディナーショーに出かけて聖子さんと涙の再会。歌声のすばらしさに改めて惚れ直し、業務提携することになったそうです。聖子さんも独立したからこそ、相沢さんのやり方のすばらしさがわかったのかもしれません。
タレントの周りに、気を許せる人やそのタレントに心から惚れ込んだ人がいるかどうかは、タレントのメンタルヘルスのために、とても大事なことと言えるのではないでしょうか。
近年の松田聖子
昭和の大スター・美空ひばりさんの付き人を務めた関口範子さんの『美空ひばり恋し お嬢さんと私』(主婦と生活社)によると、実質的なプロデューサーであったひばりさんのお母さんは、ひばりさんのファンと積極的に交流して意見を求め、ひばりさんの付き人3人は、熱心なファンの中からお母さんが直接スカウトしてきたそうです。関口さんは芸能界とはまったく関係ない仕事をしておらず、いわばシロウトさんです。しかし、ひばりさんのお母さんが求めていたのは、芸能界に精通していることではなく、ひばりさんを心から愛しているか、でしゃばることなく、心配りができる人だったのではないかと思うのです。
いつまでも昭和のやり方を続けるのではなく、令和なのだからアップデートを、と言われることはあります。しかし、昭和に学ぶことだってあるはず。人気タレントを抱えるマネジャーの人たちには、タレントが活躍するためにもぜひ参考にしてほしいと思わずにいられないのでした。
◇仁科友里/フリーライター。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ』(主婦と生活社)。