祭壇の「八幡大武神」「天照大御神」「春日大明神」は、
沖縄ヤクザは慣習を守る
数々の課題を解消した先に、当代親分の継承盃がある。当事者たちにとって滅多にない慶事なのでマスコミのような異物を侵入させ、トラブルになってはならない。そのためトップの盃取材はほぼ許可されない。今回は異例だった。
祭壇には初代富永会長の写真が置かれ、最高幹部は紋付き袴、幹部、組員は白ネクタイの礼服である。霊代は5年間組織をまとめてきた永山克博代表、取持人は與那哲也代表補佐が務めた。
二代目襲名の儀は滞りなく執り行なわれ、盃を二代目が呑み干し、着座位置を交代して新体制が誕生した。小休憩の後、続けて盃直しが行なわれる。トップが代わったため、同じ子分の座にあった人間たちが、新親分と親分―舎弟、親分―子分の盃を結び直すのだ。
今度は二代目が呑んだ盃を分け、ナンバー2となった知念秀視理事長、狩俣重三本部長、新垣修組織委員長らが呑み干し、新たな若い衆へと直る。盃を結ばない古参幹部は、全員が一家を後進に譲ったので、傘下17団体すべてのトップが二代目の子となっている。
満元幸次事務局長の媒酌は古式通りだった。沖縄にヤクザが誕生したのは戦後で、歴史が浅い分、沖縄ヤクザは古い慣習を頑なに守る。14年前の発足式が深夜だったのもそのためだし、旭琉會傘下の組織名称は、組や会、興業などを使わず「一家」で統一されているが、これも古来の博徒に倣っている。
もちろん暴力団に由緒はいらない。その世界での評価は経験した抗争の苛烈さで決まる。かつて警察は「関西の取り締まりなら10の力で済んでも、沖縄では20必要」という表現で沖縄ヤクザを格付けした。その旭琉會の跡目継承は裏社会の大ニュースで、糸数二代目はまさに時の人だ。