献水された両陛下(2025年4月、東京・小笠原村)
「これまでですと、飛行機などの長距離移動の後にはスケジュールに“猶予時間”が設けられており、その間に雅子さまが休息を取られているとされていました。ただ今回は、正午過ぎに硫黄島に降り立たれてから、間を置かずに説明が始まりました。“不休の祈り”となった背景には、一刻も早く、一秒でも長く慰霊の気持ちを伝えたいという雅子さまのご覚悟があったのでしょう」(前出・皇室記者)
その夜、両陛下が皇居にお戻りになったのは、夜9時半を回っていた。
「室内灯をつけて窓を開け、沿道の人に会釈をされる雅子さまの表情には、充足感が感じられました。一方、疲労の色も浮かんでいるように見えました」(居合わせた人)
慰霊の旅は今後も予定されており、6月に沖縄県と広島県、9月には長崎県を訪問される方向で調整が進められている。
「4月13日には大阪・関西万博が開幕します。開幕に合わせて両陛下は大阪行きが予定されており、期間中に訪日する各国の要人の接遇なども、両陛下の大切な務めです。また、4月22日に赤坂御用地内の赤坂御苑で開かれる園遊会では、これまでの“陛下と皇族方が一列に並ばれる”ご歓談スタイルが一新される予定です。さらに、7月前半にはモンゴルを公式訪問されます。例年以上に、今年は雅子さまにとって多忙な日々が続きます」(別の皇室記者)
その皮切りとなった硫黄島訪問の“反動”への不安もあったのだろう。
「大阪訪問に際しては、事前に宮内庁は“雅子さまの体調に支障がある場合には、訪問は取りやめになる”という主旨の説明をしています。普段はわざわざそんなおことわりは行いません。硫黄島訪問が、雅子さまに相当なご負担になり、場合によっては“ダメージ”が残ることは、宮内庁にとって重大な懸念事項なのでしょう」(皇室ジャーナリスト)
それでも雅子さまは、「不休の祈り」を成し遂げられた。その思いは、80年の時を超えて、硫黄島の大地へと深く染みわたったはずだ。
※女性セブン2025年4月24日号