19年ぶりに春のセンバツを優勝した横浜高校
今春のセンバツは名門・横浜が19年ぶりに優勝した一方、98年ぶりに激戦区・大阪の出場校がゼロとなり、強豪・大阪桐蔭の姿は見られなかった。その背景にある、中学球児たちの「スカウト合戦」の模様をノンフィクションライター・柳川悠二氏が活写する。(文中敬称略)
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智弁和歌山とのセンバツ決勝を制した翌3月31日の朝、横浜の主将である阿部葉太は、監督の村田浩明や次期主将候補の後輩・小野舜友らと甲子園球場を再び訪れた。
外周を歩き、開幕前に必勝祈願を行った甲子園素戔嗚神社で今度はお礼参りをした。そこで阿部は偶然にも参拝に訪れていた両親と遭遇する。聖地に導かれたような不思議な感覚に身を委ねながら、阿部は横浜に初めて勧誘を受けた中学2年の冬の日を思い出していた。
「あの頃は横浜に対してただ単に凄い(伝統校)ということしか知らなくて。そんな学校から声がかかったのならやってみたい、全国優勝したいと思った。まさかこんな景色が待っているなんて想像していなかったです」
中学時代に愛知豊橋ボーイズに在籍していた阿部だけでなく、滋賀野洲ボーイズ出身のエース左腕・奥村頼人もおよそ50校から声がかかったスーパー中学生だった。全国の名門・強豪が入学直後からの起用や甘言を囁き、中学生の気を誘う。だが、横浜だけは違った。
「『入学したら横一線だぞ』と声をかけてもらって、これだな、と思いました」(奥村)
琵琶湖の湖畔で競争に飢えていた左腕は、予め特別扱いはしないと伝えられ、むしろ厳しい環境に身を置くことが自身の成長につながると感じた。
奥村は1年生の秋から主戦投手となり、阿部はまだ上級生がいた2年生の5月に主将を任された。19年ぶりのセンバツ制覇は、いわば将来有望な選手を横浜に導いたスカウティングの勝利でもあった。監督の村田は言う。
「“村田と一緒にやりたい”という強い想いのある子、プレーしていて輝いて見える子に来てほしいと思っています」
2年前の夏、強豪校関係者の間ではこんな話題で持ちきりだった。
「大阪桐蔭が中学生の勧誘に苦戦している。西谷浩一監督は東海中央ボーイズで『ビッグ5』と呼ばれる5人に声をかけ、全員に断わられたらしい」
私が当時、中学硬式野球で「最強」の座にあった東海中央ボーイズを訪ねると、噂は本当だった。
5人のうち、左投手にして打棒にも長けた小野舜友、俊足外野手の江坂佳史は横浜に。そして鉄砲肩の捕手・山田凜虎は智弁和歌山の門を叩き、元プロ野球選手の指揮官・中谷仁から帝王学を学ぶということだった。