東京高等裁判所
中立公正な立場で、法律に基づいた適切な判断を冷静に下す“法の番人”──これが裁判官に対する一般的なイメージだろう。しかし裁判官を20年間務めあげ、現在は弁護士をしている井上薫氏は、裁判官の実態について「みな一様に“人間”」だとそのリアルを口にする。
裁判官も“凡人”や“俗人”であり、鋼の精神を持っているわけではない。死刑判決を下す場合には、相当な決断力が求められ、なかには精神的に不安定になる裁判官もいるという。
裁判官の“正体”を丸裸にした井上氏の著書『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中公新書ラクレ)より、一部抜粋して再構成。【全3回の第1回】
決断力が必要
判決を決めるためには一定の決断力が必要です。微妙な事件では特にそうです。裁判は、どちらが勝つか負けるか最終的に決めなければならない仕事ですから、これは当然のことかと思います。ただ、死刑か無罪かということになると、決断力といっても重いですよね。常識ではちょっと理解し難いほど心労が増えるでしょう。それが仕事だといえばそうなんですが、やはり決断というのは重いものだなと思います。
思い返すと、死刑判決の前に心理的に不安定であった裁判官がいました。裁判官室の席に座っても落ち着かず、昼食も取れない様子でした。判決後もこの件を話題にしがたい雰囲気でした。他の人にはわからないご苦労があったのだろうと推察するしかありませんでしたが。
また、誠に恐いけれど、暴力団員に判決を下すこともありました。私は普通に淡々と事件を進めましたが、傍聴席は暴力団員らしき人たちでいっぱいです。不安の心理は否定できません。何しろ、日本の裁判所の設備は貧しく、ほとんど無防備ともいえる状態なのです。傍聴席の彼らが本気で暴力行為に出たら、阻むものは何もありませんでしたから。女性の裁判官であればまたさらに違った心理になるのもしれません。
ただ、多くの場合は法廷に連れてこられる暴力団員である被告人は、裁判官の前では大人しく、神妙にしているのが常です。それはそれはしおらしく、この被告人が本当に犯罪に手を染めたりするのだろうかと目を疑ったことも一度や二度ではありません。要するに、これが「プロ」の犯罪者なんでしょうね。
反対に、少年審判で、審判廷に来た少年が裁判官の前で「さあ、俺をころせ!」などと叫んで床に大の字になる──といった奇行が報告されますが、それこそが子どもの証です。暴力団員たちは、私が知っている限りは、法廷では一様にしおらしいのです。裁判慣れしているというのでしょうか。これはこれで恐ろしいことでしたが……。
よく、新聞あたりで画期的判決(憲法違反とか)が出たみたいな記事が出ますけども、 画期的というのは、今までの流れとは逆の結論をとって時代を一歩進めたみたいな判決を想定しましょう。この画期的判決というのは、書くのは大変なんです。
今までの延長で判例に従って穏便な内容を書いている分にはあまり苦労もしないし悩みもしないものの、画期的な判決、今までなかった内容で、裁判所の前で万歳三唱が起こるような判決を書くとなるとそれは大変です。まず勉強しなければならない。先ほど述べてきたように単に記録を読んで結論を出したら一件落着というほど単純ではありません。だから画期的な判決を出すのは大変であって、裁判官も一定程度限られます。能力がない人は画期的な判決なんて書けないですよ。