我々はディズニーランドのキャストと思われている?
京都は日常生活と歴史の距離が近いと澤田さんは言う。記録に残らないような、こぼれ話も、自然に耳に入ってくることがあるそうだ。
「地元の人はこんなふうに言ってるよね、みたいな話です。そういうのは京都に暮らしているからこそで、ありがたいことと思います」
京都人は怖い。京都人は意地悪。京都以外の人が何げなく口にするこうした言葉を、京都人はどのように受け止めているのかが率直に書かれていて興味深かった。
「京都で暮らしておられたこともある作家の葉室麟さんは、とても穏やかな方で、その葉室さんからも『(実際に住むまで京都は)怖いと思ってた』と言われたときは、結構ショックでしたね」
他の地域の人にはそんなことは言わないのに、京都人に対してだけは遠慮なく言ってしまうのは不思議と言えば不思議だ。
「我々はディズニーランドのキャストだと思われているのかな、と感じることがあります。実在しているけど実在していない、みたいな」
取材の前日、澤田さんは仕事場を出たところで2度、外国人観光客に近所の桜の名所への道を聞かれたそう。家を一歩出ると観光地、というのも京都ならではの光景だ。
今回、歴史エッセイを書いてみて、歴史と創作物の関係について改めて考えたという。
「歴史は嘘をつく、と思っています。史料に残り、語り継がれていくものには、残したい、語り継ぎたい意志が働いていて、歪曲されていることもある。そこは気を付けないといけないところです。
たとえば私たちが思い浮かべる吉良上野介って、総髪髷の高慢なおじいちゃんと思うんですけど、それは『忠臣蔵』のもたらしたイメージで、実在の吉良上野介ではありません。私たちは歴史だと思っているけど、それは史実じゃないよねって。歴史だと思っているイメージがどこから来ているのか考える視点が必要だと思います」
何度も映像化されている織田信長や豊臣秀吉の人物像が、ある創作物のみで大きく変わることはない。しかし、昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の紫式部のように、めったに映像化されることがない人物の場合、ひとつの作品のイメージが固定化される、という指摘は確かにそうだと思った。
歴史の受容のされ方として大河ドラマにも並々ならぬ関心があり、忙しいなか、『光る君へ』の第1話の放送開始前に京都で開かれたパブリックビューイングにも参加したそうだ。
「応募者が多くて競争率が20倍だったそうですけど、当選しました。結構な運をあそこで使ってしまった気が…(笑い)」
2010年に作家デビューし、2021年に直木賞を受賞した澤田さんだが、今も週に一度、母校の同志社大学で事務のアルバイトを続けていると聞いて驚いた。
「もともと事務のアルバイトをしていて作家になり、数年前に客員教授のお声がけをいただいたので、アルバイト兼客員教授という立場です。事務をしている研究室の教授が兄弟子なので、私のことを適当に雑に扱ってくれるので助かります。作家の生活だけしていると、みなさん大事にしてくださるので、なかなか面白い事件に遭遇しなくなりそうで。私は普通の47歳の生活を諦めたくないんです」
わからないことがあると、研究者に気軽に聞くことができるのも執筆の助けになるという。
【プロフィール】
澤田瞳子(さわだ・とうこ)/1977年京都府生まれ。同志社大学大学院博士前期課程修了。奈良仏教史を専門に研究したのち、2010年に『孤鷹の天』で小説家デビュー。同作で中山義秀文学賞、2013年『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞、2016年『若冲』で親鸞賞、2020年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、2021年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『孤城 春たり』や『しらゆきの果て』がある。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2025年5月8・15日号