元北海道警刑事とは今もLINEでやりとり
──それはやはりある種、「面白がっている」と言われることから逃れられないということですか?
「逃れられないですよね。それはもう、雑誌も本もそうでしょうけど、映画は特に、やっぱり商売というところに行き着いてしまう。そうじゃない、と踏みとどまろうしても、エンタメになって消費しちゃうというか、それはやっぱり避けられない。これは『凶悪』をやっているときもすごく感じていました。
なので、本来原作(『凶悪 ある死刑囚の告発』新潮45編集部編、新潮文庫刊)には出ていない、山田孝之さんが演じた記者と、その家族とのエピソードをあえて創作しました。全く違うところで起こっている話じゃないんだということを感じてもらえたらと思って」
──『日本で一番悪い奴ら』は元北海道警の稲葉圭昭さんによるノンフィクション『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』(講談社文庫刊)が原作ですが、事実自体がすごい話ですよね。作品では稲葉さんを綾野剛さんが演じられていますが、その人物像も非常に個性が強かったです。
「こんなことある? って感じですよね。それでいて意外とこの事件についてみんな知らないんですよね。警察の不祥事なので、警察もやっぱもみ消していますし、だからこそやるべき作品と思ったし。また稲葉さんのキャラクターが抜群に面白かったりもする。稲葉さんとはいまでも、札幌に行くたびにご飯食べたり、LINEでやりとりしたりしています。
悪いことしてる人って、ある意味、生き方も達観してるところがあって。9年お務めされていたので、自分と向き合う時間も多かったせいでしょうか。会うたびに『まだそんなすごい話を持ってたんですか?』みたいなこともいっぱいあるんです。危険すぎて映画にできなかった話もあります」
作品化できるかどうかは「可愛さ」
──ノンフィクションを映画にする時って実際に悪い人を映画化しちゃうわけじゃないですか? その場合おそらく、ピカレスクロマン的に扱うことについて批判する人もいると思います。そういった声についてはどうお考えになりますか?
「ピカレスクをやる以上は、賛否両論になるのはもうこれは致し方ない。宿命みたいなものなんで、気にしないようにしていますね。ただ、変に感動を押し付けたり、ドラマを作りすぎないようにはしています。その部分はやはりある程度の距離を置いて描くというか。
あとは、取り上げる悪い人たちは、捕まっているから手記を書けていたりする。社会の報いを受けているというか、制裁を受けている人が多い。『凶悪』の登場人物たちもそうですよね。やっぱり悪いことをしたらちゃんと報いを受けるんだというものを取り扱うようにしていますし、そう描くようにしています。悪いことをやりながら逃げ切った、というのはやっぱり、ピカレスクをやる以上は難しいかなと感じています」
──きっと白石監督でノンフィクションを題材にしてまた作品を作ってほしい、というアプローチもあるかと思いますが、内容について、作品化できる、できない、という線引きはありますか?
「それは明確にあると思います。もちろん、その題材それぞれに理由があるんだと思うんです。やはりまだ報いを受けていないような悪人は難しい。あと、倫理観を超えたところがノンフィクションのある意味面白さでもあるんですけど、その超え方にも限度があるっていうか、これはさすがに見てられないとか、ある種、可愛くない感じとか。それは肌感覚でしかないんですけど。
可愛さというのは、どこか少しでもかわいげや魅力があるかどうか。造形が可愛いという意味合いではなく、観てくださった方がちょっとだけでも『この気持ち、なんか分かるな』と思ってくださるところがあるかどうか、そういう何かがないと難しいんじゃないかなと思うんですよね」