これもそうならないほうがいいに決まっている。だから「そもそも家族が不和にならないと孝子は区別できない。しかし、そんなことにならないのが一番いいのだから、孝子を模範とする(暗にその出現を期待している)儒教は間違っている」と、老子は述べたのだ。この一連の老子の言葉は「大道廃れて仁義有り」で始まっている。仁義というのは孔子の後継者とも言うべき孟子が主唱した言わば「乱世向けの道徳」なのだが、これも老子に言わせれば「そんな道徳が求められる状態(乱世)になるより、なにも起こらない平穏で自然な状態(大道)のほうがいいに決まっている」ということなのだ。また、老子の思想の後継者とも言うべき荘子は、それをもっと具体的に表現した。その荘子の一節を、私はかつて同じ第七巻で次のように解説した。
「長い間の干ばつで水が干上がった池を思い浮かべて頂きたい。ところどころ水たまりが残っていて、生き残った魚が互いにバシャバシャやって水をかけあい助け合っている。その情景は確かに悲しく美しい。しかし、水がたっぷりあって互いの存在など忘れている時の方が本当に幸せなはずだ」
これを荘子は「江湖に相忘るるに如かず」と表現した。意味はおわかりだろう。
では、こうした「毒素」を除去できなかった場合、その国家はどういう状態になるか考えていただきたい。まず、平和よりも戦争を求める国家になるはずだ。なぜなら、戦争になってこそ「本当の忠臣は誰か」が明確になるからだ。そして、そうした人物を鑑とし理想とするから国際紛争の解決においても、平和的あるいは協調的な外交より、こうした人物を輩出する環境すなわち戦争を指向していくという国家になっていく。
当然のことだが、そうした国家では戦争を推進する軍部がもてはやされ、平和を指向する政党は軽んじられる。おわかりだろう、それはこれから先の大日本帝国が辿った道だ。
西園寺は、そうした傾向に歯止めをかけようとしたのである。
そして、これまでの問題は「儒教の毒」の問題であったから日本だけで無く中国・朝鮮にも共通する課題であったが、これから述べることは日本だけの問題点だ。なぜなら、それは日本の伝統的宗教思想と合体した日本的朱子学の持つ「毒素」の問題だから、純粋な儒教あるいは朱子学だけの中国・朝鮮には存在しない問題なのである。
臣下が「忠臣」なら主君は「暗君」
さて、あらためて問う。忠臣とはなんだろうか? 辞書を引けば「まごころを尽くして主君に仕える臣下。忠義の臣下。忠士」(『日本国語大辞典』小学館刊)のことだが、その「まごころを尽くして」「仕える」「主君」の定義について日本と中国・朝鮮ではまるで考え方が違うということをご存じだろうか? 古くからの読者はご存じのはずである。前出の第七巻でも説明したし、それ以降も事あるごとにその違いを指摘してきた。しかし、未読の読者もいるだろうと思うので解説する。
たとえば、日本の代表的な忠臣として大石内蔵助良雄を挙げれば文句を言う人はいない。では、もし近代以前の中国人や朝鮮人に、日本を代表する忠臣は大石内蔵助だと言ったら、どういう反応があるか想像がつくだろうか? 彼らは異口同音にこう言うだろう。「では、その主君(浅野内匠頭長矩)はどうしようもない暴君か暗君だったのですね」ということだ。
これもじつは「国家乱れて忠臣あり」と同じ考え方で、名君は常に臣下に公平に接し臣下が尽くせば必ず評価してくれるので、好んで去る臣下はいない。問題は暴君か暗君が主君だったときだ。当然その国あるいは家は衰えていく。愚かな主君であるから臣下として忠実に務めを果たしても、見返りがあるどころか殺されることだって考えられる。だから、普通の人間はどんどん逃げていく。そんなときに決して逃げず、どんなに主君が残虐であろうと愚鈍であろうと最後まで尽くす、それを本当の忠臣というのだ。
おわかりだろう。だから儒教の徒は「最高の忠臣ならば、その主君は最低の君主だったのだな」と反射的に思う。論理的必然というわけだ。