日本人はこれが当たり前だと思っているが、じつは政党政治の伝統のある国では自由任用(公務員の任用の際、なんらの法的資格を要せず、任命権者が自由に適任者を任用すること。『デジタル大辞泉』小学館)といって、こうした次官のようなポストについても首相あるいは大統領の権限で民間人を採用できる。たとえばアメリカの国務長官を補佐する国務次官補などがそうだが、日本はなぜそうでは無かったのか? 「文官任用令」を辞書で引くと、次のような説明がある。

〈一般文官の任用資格に関する勅令。明治26年(1893)公布。同32年、政党勢力の官界進出を阻止しようとする第二次山県内閣によって改正、自由任用が制限された。大正期の山本内閣は再改正し、再び自由任用の範囲を拡大。第二次大戦後に廃止。〉
(引用前掲書)

 またしても山県有朋である(笑)。いや、笑いごとでは無い。日本の民主主義がなぜ健全に発達しなかったか原因を探っていくと、そこには必ずと言っていいほど「山県の影」がある。まったくこの二流政治家にも困ったもので、とくに政党嫌いという「病」は深刻である。自由任用ということは、たとえばアメリカなら海軍長官のようなポストでも海軍軍人の経験が無くても就任できるということだが、山県にとってそれはまさに悪夢であり、逆に自由任用が当たり前のフランスで長年過ごした西園寺にとっては当然だったということだ。

 また、アメリカには陪審員制度がある。なぜ高度な法律判断を必要とする裁判に素人の一般市民を参加させるかと言えば、量刑はプロである裁判官がするにしても民主主義社会において「人を死刑に処する」などという最終的判断は、官僚(裁判官)では無く市民の代表が行なうべきだ、という信念があるからだ。自由任用もそういう信念の産物である。

 山本内閣が実現したのはあくまで「自由任用の範囲の拡大」であって、当初意図したところよりも保守派の反撃にあって制限されたのだが、それでも警視総監や各省の次官は自由任用できるようになった。現代の日本人は民主主義を唱えながら自由任用については当たり前と思っておらず、この制度は敗戦の混乱期に廃止されたままいまだに復活されていない。第一次山本内閣の時代より遅れていると思うのは私だけだろうか。

 このように、山本内閣はきわめて有能な内閣であった。政友会のメンバーで主要閣僚として入閣したのは、当初は内務大臣原敬、司法大臣松田正久、逓信大臣元田肇の三名だった。このうち原敬は「賊軍出身」で後の「平民宰相」であることはすでに述べたが、松田は西園寺と「パリ留学仲間」で現代風に評するならきわめてリベラルな人物で、元田はリベラルというほどでは無いが政党政治は確立すべきという信念の持主だった。

「当初は」と言ったのは、内閣成立後官僚出身であった大蔵大臣高橋是清、農商務大臣山本達雄、文部大臣奥田義人の三名が政友会に入党したからである。日露戦争の戦費調達における高橋の活躍については『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』に詳しく述べたが、山本は高橋と同じ日銀出身で財政通、奥田は藩閥とは無縁の鳥取藩士の家に生まれ窮乏を嘗めたが、東大法学部を抜群の成績で卒業したことで伊藤博文の知遇を受け、大日本帝国憲法制定にも貢献した。もともと政友会のシンパではあったわけだ。

 ちなみに鳥取県出身で初めて大臣となったのはこの人である。また政友会党員では無いが斎藤実海軍大臣も原敬と親しく、桂園時代には何度も海相を務め政治家としての経験も深い。後に総理大臣、内大臣も務めるが、陸軍の反乱である二・二六事件で暗殺されてしまった。

 つまり山本内閣は首班の山本首相以外は、主要ポストを政友会の「メンバー」が占める事実上の政友会内閣なのである。「名を捨てて実を取る」とはまさにこのことだろう。「藩閥内閣? 実質を見ろ!」というのが「黒幕」西園寺公望の思いであったろう。

 この内閣の、さらに特筆すべき大物と言えば、外務大臣を務めた牧野伸顕だろう。本名は「のぶあき」だが、「マキノシンケン」として結構人気があったこの人物、なんと維新の三傑の一人、大久保利通の実の息子なのである。

(1373回につづく)

※週刊ポスト2023年3月10・17日号

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