戦後ニッポンを代表する異色経営者がまた一人旅立った。セゾングループを率いた堤清二、享年86。父・康次郎(1889-1964)から引き継いだ西武百貨店は幾多の流行を生み、小売業に現代美術や演劇などの文化活動を融合させた「セゾン文化」はバブル経済を彩った。堤清二とは何者だったのか。晩年の堤氏を幾度も取材したジャーナリスト・児玉博氏がその「実像」を綴る。
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清二に長年仕えた元側近は語る。
「堤さんは必死に努力し、それをどう隠すかに腐心し苦悩する経営者でした」
昔、堤さんがある財界人との関係を作ろうとしたことがありました、とこの元側近はいう。業界で顔の利く清二である。紹介者に頼めばいいことだが、清二は、それを心良しとしない。その財界人が麻雀を趣味としている事を知るや、麻雀本を何冊も買い込み、役を完璧に覚え、料亭で麻雀に興じる財界人のもとに足を運んでは、声がかかるのを待った。いざ、麻雀の段になって、その財界人からこう言われたそうだ。
「君、麻雀やったことないだろ?」
知識として覚えた麻雀だからしかたない。父・康次郎への思慕、異母弟・義明との確執、様々なしがらみの中で生きた清二のまた一面では、そうした修羅をどこまでも理性で隠そうとする意思が働いていた。決して完璧なる経営者ではなかった。
康次郎からの継承を断り、赤字経営が続いていた流通部門だけを引き継いだ清二は、東京・池袋の冴えない百貨店だった「西武百貨店」を中核として時代の最先端を走るセゾングループを築き上げた。
パルコ、西友を展開しながら、美術、演劇などを事業化したセゾンは「セゾン文化」という言葉を生み出し、名を成した。しかし、父譲りの暴君ぶりが顔をだすこともあった。
かつて、外国人も混じる会議で清二の通訳をつとめた女性は、セゾンの社員たちの不思議な行動に気づいていたと証言する。女性にはいつも笑みを絶やさず、紳士然としていた清二。ところが、清二が会議に顔を見せた途端、社員たちは一様に机の下で握りこぶしを、しかも汗が混じるほど強く握っていた。
「バカ! ちゃんと考えろ」
清二の叱責の声が飛ぶや、その社員に向けられて灰皿が飛んでいた。1980年代、紛れもなく時代の空気を代弁していたセゾン。そのセゾンを率いる清二の言葉を理解できない社員たちは、一様に苦しんでいたように思う。百貨店の出店1つでも計画を説明する社員に清二の罵声が飛ぶ。
「店を作るんじゃないんだ。街を作るんだ。空間を提供するんだ!」