そういえば清原は1年目の日本シリーズ(1986年対広島戦)でも、鈴木の世話になっている。シリーズ中、足の小指に打球を当てて骨折したことを誰にも相談せず、鈴木にだけ打ち明けて、整体師を紹介してもらって何とかシリーズをクリアした。しかしそのツケでオフに走り込みができず、12キロも太ってしまった。
当時の森祇晶監督は厳しく、選手の怠慢に対しては容赦なく「罰金」を取ることで有名だった。シーズン中にも清原は門限破りで年俸分の罰金を言い渡され、東尾修や石毛宏典ら幹部選手が監督に談判し、何とか免除になったこともあった。2月1日のキャンプインまでに減量しないと、また罰金が課されるのは必至。
そこで立ち上がったのが鈴木である。自分が現役当時に行なっていたトレーニング法を、厳冬期の箱根のゴルフ場で行なったのだ。「世界のスズキ」のトレーニング法は、清原曰く「今までで一番キツい練習」だったそうで、見事規定体重まで落としてキャンプインを迎えた。
寝食をともにして、選手と向き合える広報がいたから、選手たちは自由に振る舞えた。ただそれは選手を包んで守り過ぎることと同義であるため、マスコミの評判は今ひとつだったが、“野良犬”の私などには妙にやさしかった。群れを組んで行動する人間よりも、腕一本で突っ張る男の方が好きだったのかもしれない。
清原もそれを知っているから、鈴木が異動を言い渡された時、オーナーに直に電話を入れ、「僕が頼れる人がいなくなってしまいます」と訴えて、異動取消に成功している。
※週刊ポスト2014年2月21日号