そんな状況で横倒しになった「江島共済会館」の建物を見ていたら、ひとりの女性が、署名をしてくれと頼んできました。聞けば七十七銀行女川支店で、息子を失った母だというのです。
この銀行は津波の時、13人の行員が2階の屋上に避難したのですが、津波は4階建て以上の高さで来たのでひとたまりもありません。流された先で漁船に拾ってもらって1人だけ助かりましたが、残る12人は、帰らぬ人となりました。
地元では有名な話ですが、まだ銀行側と和解できていない家族もおり、なぜ高台に避難できなかったのか真相究明をしたいと、その母親は言ってました。息子さんの年を聞くや「25才」とつぶやきます。
そんなに若い年齢なの、もう絶句です。会社の業務命令を無視して、さっさと山に逃げていたら助かったのかもしれません。さぞかし無念でしょう。私の力はほんと微々たるものですが、署名をさせてもらいました。
震災遺構を語る前に、まだまだやるべきことがたくさん残っています。もし何か残すとしても、前向きな遺構を残すべきでしょう。岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」のように、頑張るぞと思えるものを残した方が、精神衛生上もよろしいと思いますが。
最後に南三陸町で間もなく取り壊される、防災対策庁舎を見に行きました。すでに何回も見ていますが、何年後かして、街が整備されてこの鉄骨だけの建物だけがぽつんと残っているのも、かなりつらい光景です。
震災の記憶を消し去ろうという気持ちは毛頭ありませんが、とはいえ遺構を保存するために莫大なお金をかけるのもどうでしょうか。もっとお金を出すべきところがたくさんあると思うのです。
※女性セブン2014年2月27日号