その田中が審判として初めて、開幕戦、しかも巨人戦の主審を務めたのは1986年(ヤクルト戦)。当時はまだ地上波での放送で、注目の集まる完全生中継だった。
大役が決まってからというもの、田中は体調を整えるため、試合の2週間前から水分を控えめにして、アルコールも断った。審判は一旦試合が始まると、好きなときにトイレに行くことすらできないからだ。開幕の日が近づくにあたって、緊張するのは監督・選手だけではない。審判員とて同じである。
子供のいない田中は、ペルシャ猫を飼っていた。名前は「寅次郎」、映画『男はつらいよ』が大好きだった田中が名付けたものである。寅次郎は、普段は練馬区にあった自宅に田中が帰ってくると、玄関口で待っていて、まとわりついて離れないのが常だった。
しかし主審になったこの年は、指名された日以来、近づこうとしなかった。食事の時はいつも膝の上に座って、一緒に食べていたのに、それもしなくなった。「開幕前の緊張は、猫にもわかるのかな」と不思議がっていたのを思い出す。大役を無事に果たし、自宅に戻った時には、寅次郎は玄関口で普段通り待っていて、田中にじゃれついてきたという。
「周囲に緊張がわかるようでは、まだプロとして失格。猫にまでわかってしまうのだから」
田中は当時をこう振り返っていた。審判を辞した後は、夢だった舞台俳優に転身。第二の人生を楽しんでいたが、2008年に急逝してしまった。
※週刊ポスト2014年4月4・11日号