坂井たちは五輪後に台湾に渡り、郭兄弟の説得に当たった。後に坂井から聞いたところによると、この時点で巨人はすでに、泰源に白紙の小切手を2枚渡していたという。先に目をつけていた選手を“横取り”されては敵わない。
坂井らは急ぎ契約を結んで入団発表を実施、会見の前にその小切手を破らせた。会見を急いだのは、「巨人・王貞治監督が訪台する」という情報をキャッチしていたからだ。台湾でも英雄視される王監督が来て、泰源に接触すれば、何が起きるかわからないという思いがあっての決定だった。
一連の獲得合戦は、私も現地で取材していたが、私のような野良犬ごときには敵う世界ではないと思った。その時の苦しさは今でも忘れられない。坂井は発表後しばらく姿を消し、どこに隠れたか、決して口を開かなかった。
この時の取材中、郭泰源の姉に聞いた話が印象的だった。
「台湾人は貧しいから誰でもお金がほしい。泰源もそれを考えてくれればいいのに。でも最初に井戸を掘ってくれた人のことを忘れないのが台湾人だから」
坂井はダイエーの球団代表を辞めた後、しばらく鎌倉市観光協会の専務理事を務めた。ゴルフが趣味で、「鎌パブ(鎌倉パブリックゴルフ場)の鬼」といわれる赤チタンドライバーの名手。とにかく負けず嫌いで、今でも私に飛距離を10cmでも超されると大騒ぎする。80歳を越えても、無邪気なものである。
統一球問題、コミッショナー問題など、最近の球界は細かなことばかりが騒がれるが、坂井のような人物がいれば、球界はもっと面白くなるような気がしてならない。
※週刊ポスト2014年6月13日号