また、この時期、玄洋社傘下『九州日報』の協力を得て『義士伝』を完成させた際、彼は時代考証ばかりに拘る記者たちの草稿をこう突き返す。
〈真実は十の内五、六分もあれば十分〉〈人間の生活はそんなもんじゃあねえ〉
そしてこうも言った。〈何度も耳で聞いて覚え、それを客の前で演ってみる。客も正直だ。よければ褒めてくれるし、又聞きに来てくれる。だが、その逆だったら見向きもされねえ。俺はそんな中で育ってきたんだ〉
これこそ長く芸人たちの生き様に触れてきた著者の実感であり、脚色だろうか。
「まあ、そんなところです。確かに『元禄快挙録』を書いた福本日南らの資料的な裏付けのおかげで、彼の『義士伝』は完成度を高めましたが、それは市井の人間の心を知る雲右衛門が語ってこそ、客に届いたんです。
太平洋戦争後、浪花節は戦意高揚に加担したとして嫌悪の対象にもなる。でも彼の『南部坂』は、昭和に入って軍部に迎合した各種演芸とは明らかに異質だし、その背後にあった雲右衛門の屈託や切磋琢磨、滔天たちの途方もない志が少しでも伝われば嬉しいですね」
雲右衛門が滔天や末永を伴って芝新網を訪れ、〈俺の師匠は新網町だ〉と言ってしばし佇む場面など、それが事実であれ小説であれ、面白いものは面白い。特に何も持たない地点から何物かを作りだした時代の圧倒的熱量は眩暈(めまい)がするほどで、浪花節か、久々に聞いてみようかなと、奇しくも雲右衛門の100回忌にあたる今年、思うこと必至だ。
●岡本和明(おかもと・かずあき):1953年千葉県生まれ。父は超常現象研究家・中岡俊哉氏、曾祖父は桃中軒雲右衛門(明治9~大正5年)。「表紙の写真は九州時代、長崎で撮ったらしい。長い総髪がいかにも当時の大陸浪人風です」。幼い頃から落語に親しみ、演芸研究家に。『これが志ん生だ!』全11巻や『志ん朝と上方』『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』等、著書多数。子供向けの『らくご長屋』『江戸小ばなし』シリーズはロングセラー。174cm、70kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2014年9月5日号