俳優の中村嘉葎雄(なかむら・かつお)は高校生のとき兄・萬屋錦之介に続いて銀幕デビュー、映画やテレビドラマなどで長く活躍してきた。映画デビュー以前、役者としての基礎が形作られ、鍛えられた歌舞伎の世界について中村が語る言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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中村嘉葎雄は歌舞伎役者・三代目中村時蔵の五男として生まれる。自身が歌舞伎の初舞台を踏んだのは1943年、まだ五歳の子供の時のことだった。
「僕の初舞台は暗かったんですよ。戦時中で物資がないから。初舞台って昔は御贔屓(ごひいき)さんから戴いたものを二階のロビーにみんな飾るんですけど、そんなものは何もなくてね。その時、松竹で写真を撮ったのですが、嫌で嫌でしょうがなくて、涙を流してそのまま撮ったんです。
同級生たちを羨ましく思うこともありました。僕の小学校では夏にみんなで沼津の海に行くことになっていたのですが、僕は父と三越劇場に出ることになっていて。それで一晩中『行かせてよ』って言ったら行かせてくれたんですよ。ところが、真っ黒に日焼けして帰ってきたものだから、怒られました。
それでも、男として生まれたら、もう役者になるしかない世界ですから、芝居をしなきゃ駄目なんですよね。他のことは考えていません。子供の頃から踊りの稽古に行ったりするのが当然だと思っていました」
当時の歌舞伎界には六代目尾上菊五郎、十五代目市村羽左衛門、初代中村吉右衛門、十七代目中村勘三郎といった錚々たる名優たちがおり、中村は子役として彼らと共演してきた。