「自分の出番が終わると舞台袖で芝居を観ていました。黒衣というのを子供には作ってくれるのですが、それなら客席から見えてしまっても構わないんです。
大先輩のおじさんたちには相当かわいがってもらいました。特に菊五郎のおじさんには鍛えられました。『盲長屋梅加賀鳶』という演目でおじさんは道玄という坊主を、私は蕎麦屋の女中をやったのですが、普通なら蕎麦を道玄に出したら舞台から引いていい。ところが、おじさんはそうはなさらないんです。
ある日は『ねぎを入れておくれ』と言ってくる。またある時はそれじゃ済まなくて『娘さん、あなたの田舎はどこだい?』と急に聞くんだ。思いつきで『葛西だよ』と言ったら今度は『葛西には何か踊りがあるだろう? 踊ってみろ』って。それで踊らされまして。
もう今日で終わりかと思っていたら翌日も舞台裏でおじさんのお弟子さんに『今日も聞かれますから準備しておいた方がいいですよ』って。ですから、ただ女中を演じるだけじゃなくて、いろいろと勉強して知っておかなければならない。
『仮名手本忠臣蔵』の七段目では時々こちらの裾をめくってくるんです。そうやって、顔だけじゃなくて足にも白粉を塗っているかを確認している。これは大変だと思ったので、『喜撰』という踊りの芝居でご一緒させていただいた時は裾がめくれてもいいように黄色の股引を穿いて出ました。
勘三郎のおじさんも似たところがありました。徳利を傾ける時、最初から急な角度で傾けると『それじゃ空だろ。まだ一杯入ってるんだから』と本番中に言われたり。お稽古の時はやらないからドキっとしますよ。
動きで表現する世界ですから、口で言って『こうしなさい』ということじゃないんです」
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)ほか。最新刊『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)も発売中。
※週刊ポスト2014年10月24日号