高齢化社会を迎えながら、日本はその処方箋をまだ見つけることができないでいる。キープレイヤーが期待される介護職で働く人々は薄給で、離職者が後を絶たない。高齢化社会のコストはどうするべきか。コラムニストのオバタカズユキ氏が考える。
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経済力だけではなく、学力でも幸福度でも、さまざまな世界ランキングでイマイチな順位になることが多い最近の日本。だが、これだけは絶対に世界のトップを走っているといえるのが超高齢化だ。
日本はどの国よりも先行して高齢化が進む課題先進国である。弱みは強みで、ピンチはチャンスだ。この件に関しては、世界の先陣を切って課題解決のお手本を示してやろうぜ、というポジティブな向き合い方もあるのだが、しかし、実際の高齢化対策はちっともうまくいっていない。
高齢化社会の基本的な調査研究では、むしろ世界に遅れをとっているようだ。先月の末に慶応大学医学部と厚生労働省の共同研究グループが、「認知症の社会的費用」を日本で初めて明らかにした。これだって、他の多くの先進国はとっくに行っている類のものだという。
慶應義塾大学のプレスリリースによると、日本の「認知症の社会的費用」は、以下のような数値になっている。
〈推計の結果、2014年の日本における社会的費用は、年間約14.5兆円に上ることが明らかになった〉
金額が大きすぎてどんだけ凄い数字なのか感覚的に掴みづらいが、たとえば2014年の日本の国家予算(一般会計)は95.9兆円だった。14.5兆円は、とりあえず国家予算と桁が同じである。とんでもない額であることは分かる。そして、その内訳はこうだという。
1.医療費 1.9兆円(入院費:約9,703億円、外来医療費:約9,412億円)
2.介護費 6.4兆円(在宅介護費:約3兆5,281兆円、施設介護費:約2兆9160億円)
3.インフォーマルケアコスト 6.2兆円
この内訳の中で注目すべきは3番目だ。「インフォーマルケアコスト」とは何か。プレスリリースには〈家族等が無償で実施するケア(介護)のことです〉とある。認知症の家族の介護を介護保険サービスの費用に置き換えたら幾らになるか、あるいは、介護をする代わりに働いていれば幾ら賃金が得られるか、それら2つを組みあわせて算出したものとのことだ。
計算式はかなりややこしいのだが、これまで「大きな負担」のような言葉でしか表せなかった家族介護者の労力の総量を、数字で可視化したわけだ。 その認知症の「インフォーマルケアコスト」は、2番目の介護保険サービス利用費の合算値とほぼ同じなのである。
日本の高齢者介護が、いかに家族の「犠牲」のもとでなされているのかが、よく分かる。医療や介護はどんどん「在宅へ」の方向に移行させられているから、今後はもっとこの「インフォーマルケアコスト」が増えるのだろう。でも、そのやり方で日本の高齢者介護は大丈夫なのか?
認知症をはじめとした高齢者の介護疲れで自殺とか、殺人とか、すでにそういう事件は頻発している。そこまで派手なことにならなくても、たとえば「介護離職」の問題だって深刻だ。