ただ、ベンチからはほとんど盗塁のサインは出してないんです。自分のタイミングでいつでも走っていいということにしていましたし、ランナーセカンドの時もピッチャーが警戒していないと判断すれば、いつでもGOでした。自分たちの売りは機動力だということを、選手たちもわかっていてくれたのでしょう。
そして、その1975年に入団してきた高橋慶彦が、その後も広島野球を継承してくれた。慶彦はピッチャーで入団したのですが、僕が野手に転向させ、同時にスイッチヒッターにも挑戦させた。当時の猛特訓は語り草ですが、まだ器具を使った筋力トレーニングが導入されてなかった時代に、朝から晩までバットを振り続ける練習だけで、ボディビルダーさながらの肉体を作り上げました。長いプロ野球の歴史でも、慶彦ほどの努力家は少ないと思います。
この慶彦の成功で、続く正田耕三、山崎隆造もスイッチヒッターにして、慶彦と上位打線を形成。こうなると、相手ピッチャーが右でも左でも対応できるので、監督としては楽でした。それに4番山本、5番衣笠まで打って走れる。すべてがプラスに働いたわけです。
しかしいくら選手が良くても、監督の仕事はしっかりしなければ勝てません。今は緒方孝市監督が、試合中上を見たり横を向いたり、ちゃんと選手の動きを見ているのかなと、疑問を感じることがある。僕は試合中ベンチの隅で立って見ていたが、相手投手が投げてくるのがどんな球種だったかすら見逃したことはなかった。また、ヒットを打たれた時に、野手のスタートが遅れたかどうかも、きちんと見届けていました。
試合後、監督から「スタートが遅かったな。しっかりしてくれよ。次に遅れたら、もうお前を使えなくなるぞ」と伝えれば、選手は危機感を感じて同じ失敗はしないものです。だからこそ、グラウンドから目は離してはいけない。選手は信頼しないといけないが、監督がしっかり締めるところは締めないとね。
●こば・たけし/1936年、熊本県生まれ。現役時代は広島、南海で活躍。引退後は南海、広島のコーチを経て、75年に広島監督に就任。球団創設初の優勝を果たし、「赤ヘル旋風」を巻き起こす。その後も3回の優勝・日本一に導いた。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号