アメリカでは年間約8000人が臓器提供を行っているが、日本では約100人。日本の臓器移植の割合は低い。日本移植者協議会代表の下野浩さんが言う。
「本人に提供する意思があっても、家族の承諾がなければできません。また、パートナーは承諾しても、お子さんやご両親が反対するなど家族の意見が一致しないケースも少なくありません。移植には家族の総意が必要になるので、事前に家族間で意思を共有できるのが理想ですが、“死を前提にした”話をしにくいのが現実です」
たとえ家族で相談できていたとしても、長い時間をともに過ごし、自分の一部だといっても過言ではない家族の急な死に直面したとき、私たちはどんな決断をくだせるだろうか。
中部地方に住む五十嵐利幸さん(66才)は、周囲の反対に遭いながらも最後まで妻の意思に寄り添った。数年前に、くも膜下出血で亡くなった妻・由美子さん(仮名、当時50代)は体育教師で、「病気や事故で体が動きにくい人たちにも、楽しく運動できる授業や環境を作りたい」と全国を飛び回っていた。
そして “もしも自分に何かあったら”と臓器提供意思表示カードに署名をし、長男も同意の署名をしていた。由美子さんが脳死状態と判定されたとき、五十嵐さんは臓器提供のことが自然と頭に浮かんだという。
「脳外科医から、脳幹部の出血で『心停止まで早ければ6時間。遅くとも2日間くらい』と、説明を受けました。そのなかで“自分は何ができるだろう”と。このまま妻を亡くすのを待ち、荼毘に付すだけというのには耐えられなかった。
もし彼女の思いを叶えられるなら、3人の子供たちにも“ママが誰かを助けながら生き続けている。自分たちも頑張ろう”って言えると考え、腹を決めました。
提供カードにサインをしていたのは亡くなる10年ほど前。折に触れて『私はするんだからね』と周囲にも話していた。子供たちも『ママの決めたことをパパが良いって言うんなら』とすぐに賛成してくれました」
由美子さんは車の運転中にくも膜下出血を起こしたが、とっさにハンドルを左に切り電柱に衝突した。奇跡的に体はほとんど無傷。そのことが、五十嵐さんの早い決断にもつながった。
「妻は頭に少し打撲傷があるだけで、すごくきれいだったんです。眠っているみたいで。2時間くらい頭を撫でながら見つめていると、彼女から“私は頑張って体を守ったからあとは任せたよ”と言われている気がしました。もし傷だらけになっていたら決心は鈍っていたかもしれませんね」(五十嵐さん)
夜には全家族が集まり、五十嵐さんはそれぞれの両親に思いを打ち明けた。まだ心肺は動いていて体も温かい。強く反対したのは由美子さんの両親だった。
「キツイ言葉ですが、『そんなことを言えるのは、血がつながってない他人だからだ』『身内だったらそんな簡単に由美子を提供しない』と言われました。でも、多くの人に受け取ってもらうには、早く提供したほうがいい。妻の従兄が賛成してくれて、連夜、両親を説得してくれたんです」