慎重に脳死判定を5回(法的脳死判定は2回)行い、家族との話し合いを深めながら提供へと進んでいった。提供までの3日間は時間との闘いだった。人工呼吸器で心肺を動かしているため、眠っているようだった由美子さんの顔はむくみ始め、青ざめてきたからだ。
「彼女がつらがっているのが伝わってきて、早くしないと由美子の思いが実現できなくなってしまうという思いでした。全ての準備が終わり、摘出手術の前夜というとき、義理の母から『わかったよ』との電話が入り安堵しました。
でも、もしあそこで理解してもらえなくても、何年かけても説得しようとの気持ちでした。機会を逃して妻との約束を守れなかったらと考えると、後で何が起きてもぼくが引き受けよう、との思いでした」
日本で件数が増えない理由には、死生観の大きな違いも関係している。キリスト教文化圏である欧米には“魂は神とともにあり、肉体には残されない”という考えがある。肉体は魂と別なので、臓器を提供することへの抵抗は少ない。
一方、仏教や神道の価値観がある日本では、“角膜を提供したら三途の川を渡れない”という考えに代表されるように、“魂は体と共にある”と考える人が多い。年齢差、地域差もあるので家族で考え方が合わないケースも出てくる。
そして、法律上、米国では脳死は人の死だが、日本では “脳死で臓器提供する場合に限り”脳死を死とする。そのため米国では脳死後の医療行為に保険が適用されないが、日本は心停止まで保険が適用される。さらに、脳死状態の家族に臓器移植の提案をするかどうかは、医師の判断に委ねられており、現場によって大きな差が出る。
「臓器提供を“医師としての敗北だ”とおっしゃった先生がいました。治りたいと運ばれた患者に“もう生きられない”と話すのだけでもつらいのに、“臓器提供という選択肢もあります”なんてとても口に出せない、と。妻の担当だった医師も、提供の意思を告げたときは驚いていました。
脳死が人の死として受け入れが広がっていない日本では、提供の打診を現場の医師がするのは重荷です。海外のように移植教育が進み、提示するシステムが定着するには時間がかかります。移植専門のコーディネーターさんが増えると違ってくると思います」(五十嵐さん)
※女性セブン2016年4月28日号