ジャーナリスト、宮下洋一氏による国際情報誌・SAPIO連載「世界安楽死を巡る旅 私、死んでもいいですか」。今回はオランダ編だ。オランダは世界で最も早く安楽死を合法化し、その理解も国民の間に浸透しているという。2014年のデータによれば、安楽死の申告数は約5300件に上るともいわれている。世界で最も「死ぬ自由」が定着した国といっていい。認知症を理由に命を絶った79歳男性のケースを報告する。(第1回/全3回)
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「夫は、とても悲しそうでしたが、とても幸せそうでもありました。シープらしい、美しい死に方だったと、私は今でも信じているのよ」
2013年11月9日、家族25人に囲まれる中、当時、79歳だったシープ・ピーテルスマが、毒薬を飲んでこの世を去った。妻のトース(78歳)は、その時の様子について、そう語った。
レーデンはアムステルダムから南下し、ユトレヒトで列車を乗り換え、1時間東に向かったところにある。人口約4万4000人のこぢんまりした田舎町だ。駅員さえ見当たらないホームだけの駅を出ると、目の前に集合住宅が広がっていた。
オランダの住宅は、昼夜を問わず、外から家の中が丸見えで、家の向こう側にある庭さえ見渡せてしまう。トースが住む一軒家も、すぐに見つけることができた。家のリビングルームから私を見て手を上げているブルージーンズとブルーチェックシャツの男性、ハンス(60歳)がいたからだ。ピーテルスマ家の長男である。
電話と簡単なメールだけのやり取りだったためか、握手をしても、私を心から歓待する笑顔ではなかった。
庭側から中に入ると、目の前の小さなキッチンで、顔をしわくちゃにして「ようこそ」と、微笑む母トースも握手を求めてきた。こちらは本物の笑顔で私を迎えた。長男とは対照的だ。
8畳ほどの小さなリビングルームには、赤いソファと一人掛けのグレーのソファ、木製のテーブル。この小さなスペースに2年半前、家族が集まり、ソファとテーブルに腰かけて毒薬を飲む老人を見守ったという。