安楽死から遡ること13年前、シープは心不全を患い、医療行為で改善する見込みはなかったが、死の恐れはなかった。その後、75歳になると大腸炎に加え、皮膚癌が見つかる。これも進行性ではなく、安楽死とは直接的な関係を持たない。彼を死に導かせたのは、自死の11か月前に診断された認知症だった。
「自分の人生は、すべて自分で決めるという固い意思を持って生きてきたシープでしたから、私は彼の決断に同意せざるを得ませんでした」
トースが、リビングルームの横にあるキッチン側の茶色いソファにゆったりと腰掛けながら、当時を振り返った。夫の死が、思いもよらず国内を騒がすことになるとは、想像していなかったようだ。周囲の関心の矛先は、認知症が前述した二条件を満たすか否か、である。
「耐えられない痛み」とは何か。肉体的な痛み以外にも、人間には精神的な痛みがある。そのことは、私もスイスの事例を目の当たりにして考えさせられたことだった。父は、認知症のために徐々に、物事の判断がおぼつかなくなることに恐怖を感じ、死を選ぼうとした、と長男は説明する。
しかし、安楽死クリニック所属の医師の幇助で死を選択する場合、当然、周囲の家族の同意が求められる。その決断に迫られたのは、まさに長男のハンスだった。
「母から、父が安楽死を求めていると聞いた時、それは驚きでしたね。胃の病気を除けば、身体はまだそこそこ丈夫でしたから」
写真:Mona van den Berg
※SAPIO2016年6月号