もちろん義援金や寄付金もいい。だが、いま現実に苦境に立たされている生産者や事業者の背中を支えたいと考えるなら、まず彼らが手塩にかけた商品やサービスを存分に味わい、その対価をきっちり支払うことだ。そうした行動は、遠隔地からでも現地にまっすぐ届く。
例えばGW明け、九州に本拠を置くソラシドエアで熊本空港や大分空港へと飛び、週末の一泊旅行を楽しむ。現地に行けずとも九州料理を供する居酒屋で熊本や大分の酒を呑み、ネット通販の「熊本・大分特集」の商品を買う。マーケット自体を支えることが、現地の力になる。
東日本大震災からは5年が経った。避難指示が解除された地域に住む住民の口からは「震災の記憶が薄れれば、観光客増につながるのかもしれない。でも忘れられることって、見捨てられるこわさとも背中合わせなんです」という声も聞かれた。
「忘れる」「見捨てる」のは誰か。ほかならぬ、“安全圏”に暮らす我々である。「飲む」「行く」「買う」は現地の背中を押すというだけでなく、起きた事象を自分自身に刻む行為でもある。「明日は我が身」。この国で起きる震災が、他人事であろうはずがない。