1980年代には車両に人を押し込むための臨時バイトが雇われるほど混雑していた通勤電車だが、混雑率200%超が当たり前だった1990年代前半以降、幅広車両の導入や複々線化、労働者人口の減少などで各路線とも混雑が緩和されている。ところが、いまだ混雑率200%の区間を抱えているのが東京メトロ東西線だ(木場~門前仲町、国土交通省調べ)。慢性的な混雑に悩む東西線がとった対策について、ライターの小川裕夫氏がリポートする。
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ゴールデンウィークが終わり、電車に乗って会社に向かうダルい日常が戻ってきた。ゴールデンウィーク時のガラ空きの車内とは打って変わり、寿司詰め状態の満員電車は想像しただけでも不快指数は上がる。
――そんな満員電車も数年のうちに姿を消す。通勤ならぬ”痛勤”に苦しむサラリーマンには、にわかに信じがたい将来予測が出されている。その要因は、団塊世代の引退だ。通勤需要を支えてきた団塊の世代が定年退職すれば、当然ながら通勤需要は激減する。
鉄道会社は通勤需要の減少で減収の危機に陥っている。それを補おうと、あの手この手で利用者の掘り起こしを始めている。
各社の通勤需要が減少していくのを傍目に、東京メトロの東西線は堅調に通勤需要を伸ばしている。
東西線は1969(昭和44)年に全線が開業。西端は中野駅、東端は西船橋駅という東京を横断する30.8キロメートルの路線。中野駅から西へはJR中央・総武線で三鷹駅まで、西船橋駅から東へは東葉高速鉄道の東葉勝田台駅まで乗り入れている。
開業前の東西線沿線は荒涼とした風景だったが、開業後は一変。江戸川区、千葉県浦安市・市川市はニューファミリー層を中心に人口が増え、東京のベッドタウンとして急速に発展した。
これに拍車をかけたのが、1996(平成8)年に開業した東葉高速鉄道だ。東葉高速鉄道は東西線の西船橋駅から東葉勝田台駅まで直通する路線で、東西線同様に開業当時の沿線には民家が数えるほどしかなかった。
「東葉高速鉄道の建設費は約3000億円になりますが、開業当時の東葉高速鉄道は沿線の開発が進んでおらず、営業収入が見込めない状態でした。そのため、千葉県や船橋市、八千代市などの沿線自治体と東京メトロなどが第1次支援として1997年度から2007年度までの10年間に計220億円の出資と80億円の貸し付けをおこなっています。第1次支援終了後、引き続き第2次支援として次の10年間で総額300億円の出資をしました」(千葉県総合企画部交通計画課)
沿線自治体などによる経営支援やニュータウン開発が進んだこともあって、東葉高速鉄道は5年連続で黒字を達成。内部留保も250億円を超えた。
「現在、東葉高速鉄道の1日の乗車人員は14万人を数えます。また、八千代緑が丘駅周辺のニュータウン開発も進んでおり、今後も沿線人口は増加することが見込まれています。今後10年、東葉高速鉄道の利用者はまだ増えると考えられます」(同前)
東葉高速鉄道利用者の多くは、東京都心部に通うサラリーマンだ。東葉高速鉄道の沿線住民が増えれば、必然的に東西線の利用者も増加する。東京メトロにとって、東葉高速鉄道様様だろう。
それでも、東京メトロにとって利用者が増える状況を手放しでは喜べない事情もある。なぜなら、東西線は利用者急増によって通勤ラッシュ時に慢性的な混雑に見舞われているからだ。