中国当局による弾圧は目を覆いたくなる。最近では東南アジアなど、国外にも張り巡らせた“密告網”により民主化を望む中国人が次々と捕らえられている。国際社会の目が届かぬ地で、中国当局は不穏の芽を摘み取っているのだ。
ノンフィクションライター・安田峰俊氏は、当局の弾圧を受けタイに逃れた民主活動家を取材。習政権に背く者に対する凄まじい拷問が明らかになった。
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地理的に近い東南アジア各国に流入する中国人亡命者はいまなお多い。私が昨年2月にバンコクで出会った亡命者・顔伯鈞(イエンボォジュン)氏が経験した亡命の壮絶な経緯と、現状を紹介しておこう。
顔氏はかつて北京工商大学の副教授で、新公民運動 (※注1)に積極的に携わった人権活動家だ。
【※注1/2012年5月に許志永が正式に提唱した、穏健な民主化運動。最盛期には中国全国で10万人規模のシンパが存在したとされるが、習近平政権成立後にほぼ壊滅した】
運動が弾圧された2013年4月に北京を脱出。中国国内を放浪した末、ついに2014年12月に国外亡命を決めた。当局のマークを受けて飛行機を利用できず、陸路での密出国だったという。
「まず、雲南省南部の国境の街・打洛(だらく)から、ミャンマー北東部のモンラーに渡りました。現地は軍閥の支配地で、ミャンマー政府の支配が及ばない場所。パスポートなしでも国境を越えられるのです」
モンラー軍閥の支配者は、林明賢(リンミンシエン)という華僑だ。往年は文化大革命で暴れた紅衛兵崩れで、その後に中国・ミャンマー国境のジャングル地帯に独立勢力を築いた。顔氏は現地に友人がおり、ここからの逃亡を選んだ。
だが、華僑系の軍閥だけに中国の影響は強い。捜査の手も国境を越えて伸びていた。
「宿の主人が中国公安への情報提供者だったらしく、深夜、追っ手に部屋へ踏み込まれそうになりました。慌てて友人の車で逃げました」(顔氏)
山道で30km近くの距離にわたるカーチェイスを続け、追跡者を振り切った。追っ手に怯えながら移動し、メコン川を下りラオスに脱出する。だが、こちらも安全ではなかった。
「中国企業がラオスの土地を買い取って作った、金三角特区というカジノの街に身を寄せました。しかし、現地は警官の多くが中国人で、事実上の中国領のような場所。危険を覚えて離れました」(顔氏)