「地震直後は大変な時期やからね。たくさん人も亡くなって、家も失って。これからどうなるんやろうって、明日のこともわからんような状態のところに行ったら、反対に迷惑なんですわ。
僕もそうやったけど、被災者としたら直後に来られても辛いだけやねん。善意で来てくれているから色々気を使わなアカンのやけど、正直、被災してすぐの者にそんな余裕はない。だから少しは落ち着いたであろう時期に行かせてもろたんです」
この時は岩手県山田町をスタートして太平洋沿岸を南下、福島県いわき市をゴールとした被災3県縦断462kmの行程を9日かけて1人で走り切った。以降は毎年開催され、寛平の想いに賛同した芸人仲間が走者として次々に参加、現在は駅伝方式で行なわれている。
「始めた頃に比べ、東北は復興してきていると思います。仮設住宅の住人も減り、空きが目立つようになってきた。でもそれは反対に、残っている人からすれば、自分だけ取り残される気持ちになって焦るんですよ。
中には自殺したいとまでいう人もいる。だから“来年も来るから必ず生きといてな! 死んだらアカンで!”って声をかけるんです。声をかけることが大事やから。最後の1人になっても続けられる限りは続けたいと思ってます」
【はざま・かんぺい】1949年、高知県生まれ。1969年、芸能界入り。1970年に吉本興業に移籍し、花紀京の付き人となる。1974年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格、「かい~の」「アヘアヘアヘ」など数々のギャグで人気を博す。『劇団間座』の旗揚げ公演は12月24・25日に大阪・HEP HALLで上演予定。
●取材・文/斉藤裕子 ●撮影/渡辺利博
※週刊ポスト2016年10月28日号