間寛平、67歳。日本で最も有名なお笑い芸人の1人である──。自ら、お笑いは「おぎゃー、と生まれた時からやっていること」と語る芸人魂の持ち主。芸歴47年目を迎え、古希を前にした今も寛平はお笑い界の最前線に立ち続けている。
仕事の合間の休憩時間や休日はトレーニングに費やしている。内容は陸上・十種競技のメニュー。そのため今でも若々しい肉体を保っているが、本人は「老い」を感じることもあるという。
「50代の時は10kmを37分ぐらいで走れたけど、最近は頑張っても1時間はかかる。年を取るとスピードが出なくなるね。それに、ちょっとサボったらすぐ鈍ってしまう。自分との闘いがなくなった時に、人は弱っていくんやなァと思うようになりました。
トレーニングは夫婦円満の秘訣でもあるんですわ。定年して家にずっとおったら楽やとは思うけど、嫁はんと喧嘩ばっかりやろうね。加齢臭が臭いとか、俺だっていわれてるんやから。それやったら外に出て走ったり、公園の鯉に餌あげたりしてたほうが落ち着くし、気持ちええ。知り合いも増えるし、いいことづくめやで(笑い)」
そして寛平はこう続ける。
「67歳は67歳の闘いがあると思う。他人じゃなく自分との闘いですわ。若いモンに対抗してやろうとかじゃなく」
この考えは彼の仕事観にも通じる。
「自分自身はもう“売れたい”とか、そういうのないんですわ。生きてるだけでありがたい。あとは後輩が育ったらええなって思ってる。
俺が入った頃は、やすしきよしに中田カウス・ボタン、桂三枝(現・文枝)らが大人気で、劇場にお客さんが溢れ返るぐらいの状態やった。特に(明石家)さんまがすごくてね、お客さんが出入り口までいっぱいで演者が帰られへんかった。裏から窓を開けて、逃げるようにして帰ってたからね」
そう懐かしそうに語った後、ふと寂しそうな目をしてこう呟いた。
「でも、今はそこまでの芸人がいないでしょ。だから、僕らがそういう芸人を育ててあげないといけないと思う」
寛平は24歳にして吉本新喜劇の最年少座長を務めあげ、半世紀近く業界に身を置いてきた。彼には、現在の若手芸人はどう映っているのだろうか。