「お世辞抜きに、しっかりしてますよ。ネタを本当に考え込んで作っている。昔は芸人の存在自体が面白かったんやけど、今は大学とか出たような頭の良い子たちが“ここで笑わせる”というのをキチッと計算してネタを作ってる。昔とは全く違いますわ」
若い才能の活躍の場として寛平は今年、新たに「劇団間座」を立ち上げた。12月には旗揚げ公演が予定されている。
「若手を育てるといえば、昔、大失敗したことがあってね。友近が関西で人気が出てたから、東京でもブレイクしたらいいなと思って、僕が新宿ルミネtheよしもとに“2人でコントやろう”って呼んだんです。
2人とも汗ダクになって頑張った。でもね、僕の人生で一番ウケへん舞台になった(笑い)。あの時は友近置いて逃げたかったわ。同じ轍は踏まんようにせんと(笑い)」
体の鍛練を怠らず、若手育成に力を注ぎ、文字通りいつも全力で走っている。そんな寛平を見ていたら、あの有名なギャグを思い出した。
「わしゃ、止まると死ぬんじゃ~」
この人はまだまだ止まりそうにない。
【はざま・かんぺい】1949年、高知県生まれ。1969年、芸能界入り。1970年に吉本興業に移籍し、花紀京の付き人となる。1974年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格、「かい~の」「アヘアヘアヘ」など数々のギャグで人気を博す。『劇団間座』の旗揚げ公演は12月24・25日に大阪・HEP HALLで上演予定。
●取材・文/斉藤裕子 ●撮影/渡辺利博
※週刊ポスト2016年10月28日号