出場者たちが演奏する作曲家や曲目の紹介、登場人物それぞれがライバルの演奏に感じ取る感想などが、そのままクラシック音楽事典になっているといってもいい。音楽を表現する言葉の豊かさ、強さが実に魅力的で、読んでいると頭の中をいくつものメロディーが駆けめぐっていく。
「いちばん苦労したのは、音をどう言葉で表現するのか、ということ。とくに登場人物の個性に合わせて演奏を書き分けることでした。でも、演奏中の緊張感や心情などは小説だから書けること。その点では、音楽と小説は相性がいいと思いました」
モデルとしたピアニストはいないが、舞台は国際的に高く評価される浜松国際ピアノコンクールがイメージの基本にあり、3年に1度の開催に4回も通った。
「取材というよりひたすら聴き続けただけなんですけど、12年も通って聴いていると、耳が肥えたのかな。勉強にもなりましたし、財産にもなったと思います。同じピアノでも、同じ曲でも演奏者によって全然違う音になるんです。とても面白いですよ」
将来を嘱望されるピアニストの、生の演奏を堪能できるのだから、機会があれば、読者の皆さんもぜひ聴いてみてはと恩田さんはすすめる。
作品の中でも指摘されているが、ハリウッド大作をはじめ、昨今のエンターテインメントはアトラクション化している感が否めない。ここで泣きなさい、ここで感動しなさい、という見えない強制が働いている。恩田さんは言う。
「マッサージみたいなもので、“ここは感動のツボです”と押されている感じ。それは一定の反応を引き起こすだけであって、本来の感動とは以て非なるものだと思います。感動ってそんな受け身のものじゃなくて、もっと主体的なもので、人それぞれに感じるものであり、そしてずっと後に残っていくものではないか、と」
そんな真の感動がここにはある。コンクールや演奏会はそのとき一度限りのもの。CDなどの音源は残るが、まさに一期一会だ。
「例えば浜松国際では1人の女の子の演奏に聴衆もオケも涙を流していた。その瞬間に感じられるものがあるから、素晴らしいし、逆に永遠性を感じるんです。書きながらその思いをますます強くしました。昔、あるチェリストが、どんなに醜い感情も、ネガティブで嫌な思いも、音楽に表現すれば、美しいものに昇華できるといいましたが、音楽の素晴らしさって、それなんだとあらためて思いました」
◆誰が優勝するかは迷いながら書き進めた