大手広告代理店・博報堂に勤務した経験を持つネットニュース編集者・中川淳一郎氏はこう解説する。
「スポンサーが気にするのはあくまで世間からのイメージなんです。そのタレントが出演するCMが流れた時に、視聴者から“あれは××教の信者だろ。なぜあんな宗教の宣伝に協力するんだ”といったクレームがくるのを極度に嫌がる。そうした電話が5件あっただけでも、広告代理店の担当者はスポンサー企業に呼び出しを食らう世界です」
顧客イメージを気にするスポンサー企業が、特定の宗教団体の宣伝活動に肩入れしている印象を嫌がる心理はわかる。ただ、それがなぜ違約金という議論にまで発展するのか。芸能関係の契約書作成業務に詳しい藤枝法務事務所の藤枝秀幸行政書士はこういう。
「映像作品の出演契約では、出演者と反社会的勢力との交流などを制限する条項はあっても、宗教絡みの騒動での賠償を定める項目が明記されるケースはまずありません。ただし、『スポンサーの品位や名誉を損なう恐れがある場合は、契約を解除する』といった条項はよく見られ、今回の清水さんのような騒動では、そこに当てはまるかが契約を結んだ両者で協議されると考えられます」
不測の事態のために解釈の幅の広い文言が契約書に入っていることが少なくないという。
一方で、スポンサー企業の懸念とは別に、信者である芸能人がどこまで宗教団体の「広告塔」として機能するかは議論が分かれるところだ。宗教学者の島田裕巳氏は懐疑的だ。
「宗教団体が有名人を広告塔にしようとして成功した例はほとんどありません。芸能人がいることを理由に新たに入信する人は、ごく稀です。
むしろ、有名人信者の存在は、教団内部の人たちの結束を強める効果を期待されることのほうが多い。ある教団では『テレビに出ている信者の××さんを応援しよう』と指導者が信者に呼びかけていた。それが組織の強化につながる。創価学会芸術部の存在も、教団にとってはむしろ内向きの目的のほうが大きいと考えられます」
※週刊ポスト2017年3月3日号