「女優で人妻だった年上女性との間に子供がいることは、金正日にとっては後ろ暗い事実でした。父の金日成や政権中枢を担う幹部たちに知れることは是が非でも避けたかったんです。息子を父に会わせたのは、誕生から4年も経ってからといわれています」
そんな状況に成ヘ琳は精神が壊れていく。「こんな生活は嫌! お父様に会わせて」と泣き叫ぶものの、金正日は頑として受け入れない。慰めても言うことを聞かない彼女に、金正日はピストルを取り出し、「撃ち殺すぞ」と脅しつけたこともあった。
一方で、疑惑の目をそらすために、1973年、金正日は父が認める女性と結婚する。相手は党中央本部のタイピスト・金英淑。当時26才だった。
「1974年に長女・金雪松が生まれ、金正日は彼女をいたくかわいがりました。晩年、金正日が最期まで頼ったのも金雪松といわれ、スケジュールの管理など自身の仕事もサポートさせていました。ともかく、金正日の結婚は成ヘ琳の耳にも入り、彼女の精神不安はますます悪化し、1973年にはモスクワで長期治療を始めます」(惠谷さん)
◆大阪生まれの金正恩の母
金正恩の母・高英姫は、1975年頃から金正日のパートナーとして周囲に知られている。惠谷さんが説明する。
「彼女は1952年に大阪で生まれ、1960年10月に一家で北朝鮮に帰ってきた在日朝鮮人で、1970年代初めに『万寿台芸術団』に舞踊手として入団しました。目鼻立ちのはっきりした、スタイルのいい美人だった彼女を、金正日は一目見て気に入ったようです。
金正日の執務室のテーブルの上には万寿台芸術劇場の訓練場と連結されたモニターがあって、彼はこの画面で練習中の高英姫を発見したと伝えられています。その後は彼女の練習室にやってきて、その姿を直接見守るほどの熱のいれようだったそうです」
1980年、高英姫との間に、金正日にとっては次男となる金正哲が誕生。金正日はこの時期、同時に3つの家庭を持っていたことになる。女性関係が派手だった金正日が、生涯最も愛したといわれるのがこの高英姫だ。
「高英姫は在日で、最下層の階級でしたが、金正日の寵愛を一身に受け、強大な権力を手中にしました。美しいだけでなくとても聡明な女性でしたから、なんとか自分の息子が後継者になるよう動きました。
というのも、金正日にも異母兄弟・金平一がいるのですが、金正日は金平一にものすごく嫉妬し、廃人状態にしたんです。さらに金正日は金平一と握手するなど、少しでも彼と親しくした人を粛清しました。それを目の当たりにしたから高英姫は自分の息子ではない金正男が後継者になることを恐れたのでしょう」(李さん)
金平一は金日成の後妻・金聖愛の長男。北朝鮮で理想のルックスとカリスマ性を併せ持つ金日成の遺伝子を受け継いでおり、一時は金日成の後継者といわれていた。