相撲ブームが沸騰している。そこで、「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が相撲コラムを執筆。今回は小兵力士・駿馬(しゅんば)の「恋ダンス」について紹介する。
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二〇一〇年の五月場所。国技館前を車椅子がゆっくりと進んでいた。よく見ると間垣親方だった。脳梗塞により左半身が不自由になったことは知っていた。現役時代には「美剣士」「五月人形」とたたえられた若三杉、二代目・若乃花の間垣親方。五月人形だって、三十年も経てばひびが入ることもある。
すれちがう瞬間、おどろいた。正面からは間垣親方の姿しか見えなかったのに、車椅子を押している力士がいた(そりゃそうだ)。力士名鑑で間垣部屋の小柄な力士をさがす。ギュッと結んだ口に責任感がありそうで「たぶんこの人だ」と思った。百六十九センチの駿馬。名鑑には出身校が記される欄があるのだが「飯田高―杏林大/相撲部なし」と書いてある。相撲部なし?
駿馬は小学校から高校まで相撲部に在籍していたものの、新弟子基準の百七十三センチに及ばない、と相撲から離れた。杏林大学では中国語を修め、江蘇省の日本語学校の教師に内定もしていた。しかし二〇〇一年より第二新弟子検査が実施され、百六十七センチに基準が引き下げられて間垣部屋に入門。中国から若勝獅が入門してくると通訳を買ってでている。