発端は、猪木氏の“決別宣言”だった。5月25日、猪木氏は新格闘技イベント「ISM」の開催を発表。その会見で「IGFは整理する」と発言した。サイモン氏やIGF所属レスラーたちは6月2日、「理不尽な話は受け入れられない」として、団体の存続を求める署名活動を始めた。6日にはサイモン氏が会見を開き、猪木氏の代理人から警告書が届いたことも明らかにした。
警告書は、3月にテレビ朝日で放送された「プロレス総選挙」で猪木氏が1位になったことについて、サイモン氏が「やらせ」を匂わせる発言したと抗議するもので、法的手段を取る可能性も示唆されていたという。
公私ともに“タッグ”を組んでいた2人は、なぜこじれてしまったのか。あるプロレス関係者はこう語る。
「猪木さんは最近、50代のAさんと正式に籍を入れた」
猪木氏は、それまでに3度の結婚と離婚を経験している。最初の結婚は米国での修業時代で、相手は現地女性だったが、ほどなくして離婚。帰国後、国民的人気レスラーとなった猪木氏は1971年に倍賞と再婚した。サイモン氏の妻となるひとり娘に恵まれるも、1987年に離婚。1989年には22歳年下の一般人女性・Bさんと結婚したが、2012年に離婚した。
4人目の妻となったAさんは大学で写真を学んだ後、民放テレビ局の関連会社でカメラマンとして働いていた。
「Aさんは1990年代後半から猪木さんの写真を撮るようになり、2001年には猪木さんの写真集を出版。IGFの役員をサイモン氏らとともに務めたこともある」(同前)