ジャーナリストの宮下洋一氏はこの一年、世界中の「安楽死」の現場を訪ね、死を望む患者や死を施す医師の声に耳を傾けてきた。そして宮下氏は日本での取材を開始した。
延命治療の中止を巡って、最高裁まで争った女性医師がいる。患者遺族から後ろ指を指され、マスコミに非難され、そして所属先の病院も責任回避するなか、なぜ彼女はたった一人で闘ったのか。宮下氏がレポートする。
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「安楽死と言われても、私にはそういう認識がないんです。それにご家族の判断だったり、本人がその日に言った言葉だったり、解釈の仕方は、人によっていろいろ違う。だから、杓子定規にここから安楽死、ここから尊厳死という訳にはいきません……」
横浜市にある大倉山診療所の院長を務める須田セツ子(62)は、「安楽死」という言葉に、まるでアレルギー反応を示すかのような表情を浮かばせた。このテーマを日本人医師にふると、多くは曖昧な表現で、言葉を濁す。でも、彼女は物事を率直に言った。もはや恐れるものなどない、とでも言うべきか。
あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。