「特に多摩時代、団地内はほとんどが自分と似たような核家族だったので、地方ごとの文化や匂いを纏った大学の友人が、もう羨ましくて。でもある時、小名浜の醤油蔵の息子に言われたんです。『そうかな。古い町しか知らない俺には拡張や収縮を繰り返すニュータウンこそ得体の知れない生き物に見えるけど』って。その言葉がずっと残っていて、自分の育った町を長いスパンで多面的に描く、今回の群像劇に繋がりました」
まず一章「わが丘」では、開発初期の中山・枇杷(びわ)団地を舞台に、健児が市民運動〈若葉ニュータウンの未来を拓く会〉で出会った主婦に抱いた淡い恋の顛末を描く。
元地主の両親と同居する健児は、枇杷商店街で八百善を営む叔父〈善行〉が昔から苦手だ。公団側は土地を売った元農家に起業を勧めたが、団地族を毛嫌いし、プライドだけは高い善行の店がうまくいくはずもない。
そんなある日、病院建設を求める住民集会に臨席した健児は、1人の清楚な女性に目を奪われる。喘息の娘を抱えて郊外に越してきた〈袴田春子〉だ。が、彼女会いたさに会の活動を手伝い始めた健児を善行はよく思わず、〈団地妻と逢引き〉云々とあらぬ噂を流された彼の純情の行方は……?
「中山は永山団地、枇杷は諏訪団地がモデルです。一見均一的な町にも様々な人が様々な思いを抱えて暮らしている。二章『学び舎』の五年一組の面々は五章では41歳になり、春子は最終章で夫と死別して独居老人になる。それらを全て見届ける定点観測者として健児を設定しました。
人は変わっていくもの、失われていくものに対して感傷的になりがち。でも、今では少子高齢化の象徴と化したニュータウンの往時の活気や暗部も含めて私は現在進行形で描きたかった。青春期や成熟期を経て老いていくのは町も同じですし、死んでもただでは終わらせないぞ、みたいな(笑い)」