成岡の恐れる事態は、まもなくやってきた。
「豹の飼育は危険であるから、隊内での飼育を禁じる」
上長の亀川良夫連隊長からの命令に、成岡は苦悩を深めた。それはすなわち、「処分せよ」との指示に他ならないからだ。
だが、成岡にできるはずがなかった。逡巡しながら決断できずにいる彼に、さらに悩める事態が降りかかる。連隊長の内務巡視(上長が部隊の状況を把握するための定期巡察)の日がやってきたのだ。
《自分は命令に従わず、ハチを処分していない》
《「余の面前で、ただちに射殺せよ」そう命令されたら、自分はどうしたらいいのか》
悩んだ末、成岡はありのままのハチを見せることを決めた。ハチを隠すことは「隠蔽行為」にあたり、処罰される可能性がある。それならば、ハチがいかに部隊を癒し、志気を高めているか、見せた方がよい。
内務巡視当日、成岡の隣で連隊長を迎えたハチ。成岡が固唾をのんで見守る中、ハチは予想外の行動に出る。あろうことか、連隊長に飛びかかったのだ。
成岡の脳裏に最悪の事態がよぎる。だが、そこで繰り広げられた光景が、ハチの運命を変えることになった。
《ハチが亀川連隊長の右腰に吊り下げられた大きな「図嚢」にぶら下がって、じゃれ始めた(中略)連隊長は、足もとで愉快に遊ぶハチの姿を見つづけている。それは、いささかも「危険」というものを感じていない風情だった》
《亀川連隊長は、ハチの頭を撫で始めた。意外な展開だった。(しめた!)内心、小躍りするほどの喜びを感じた》
その後、成岡はハチを引き離し、自らじゃれ合いの続きを演じると、連隊長はようやく安堵した。
「この猛獣に、危険はない」
かくしてハチの飼育は許可され、鯨部隊に帯同することを許された。ハチが命を繋いだ瞬間だった。だが、喜びは束の間。別れの時はまもなくやってきた。
(後編に続く)
※女性セブン2017年8月24・31日号