転覆した車のパイプは黒ずんだ血管、尖った葦は研ぎたての刃。壁画の可愛いうさぎたちの目には狂気が宿り、禍々しいイメージが散乱する。まさに死にとり巻かれた最終編「私の存在を忘れてください」は、ジョイスの『ダブリン市民』の名編「死者たち」から引用した題名である。
昔の恋人であるバンドの歌姫の自死を知り、葬儀に出る勇気の出ない男二人が、墓地脇のバーで酒をあおり回想する。バンドは一度は売れたものの、ホロコーストを材にしたややこしい勘違いソングを作って沈没……ここに、ボスニア人のバーテンダーの戦争談がぽつりと織りこまれ、本編は作中ほとんど不在のこの男の視点で締め括られる。みごとで、ため息が出た。
※週刊ポスト2017年10月13・20日号