【3】「モデル」は必要?
ご存じ、吉本興業創業者・吉本せいがモデルのドラマ。しかし、関西人の中からはこんな批判も聞かれます。
「大阪の一大文化を築き上げた人物が京都出身という設定に『納得がいかない』との声が相次いでいる」(週刊朝日2017.10.11 )
たしかにドラマの中で、てんの実家は「京都の薬屋」。この設定の「ねらい」がよくわらない。大阪と京都では、話のテンポも笑いの質も違うというのは常識でしょう。吉本興業が象徴する大阪文化は「コテコテ」、京都の文化は「はんなり」。地理的に隣り合わせとはいえ、一緒くたに「関西」として括ることはできないはず。
つまり、吉本せいがモデルと言いつつも、いったいどこまでご都合主義で変更していいのか。これはフィクションです、と言い切ればそれでいいのか。どこまで変えてしまったら笑えないのか。
今回の主人公を「京都出身」と設定したことで、大阪人が笑えなくなったのだとすれば……。安易に「モデル」を設定して、マイナスになってしまっては意味がない。繰り返し実在の人物をモデルとしてきた朝ドラへの、問題提起なのかもしれません。
【4】姑のイジメも立ち位置も中途半端
おそらく、姑のイジメで視聴率を取ったろうというもくろみがあるのでしょう。『ごちそうさん』のキムラ緑子さんくらい徹底するなら、「姑のイジメ」も一つの芸として見所が出てくるのかもしれません。しかし、鈴木京香さん演じる姑・啄子はグチグチ愚痴るけどイジメというほど陰湿でもない。その母親像は何とも中途半端では。
啄子の設定である「大阪・船場の御寮人さん」といえば、ものすごく個性的な人物のはず。商売哲学も生半可ではないはずです。小説『細雪』や『船場狂い』などで克明に描かれているように、御寮人さんには独自のプライドと生き方、口調といった様式があって、大阪商売人の血がどくどく流れているはず。そんな人物の商売にかけるド迫力や常人に無い発想力をコミカルに描いた方が笑えたのかも。
そもそも、イジメで視聴率を稼ごうという発想自体、一日の始まりの清々しい朝にはそぐわない?
【5】芸人たちの魅力は?
女義太夫のリリコについては、何とか「芸」が見えますが、その他長屋にたむろす芸人たちの「芸」の力や魅力が今一つわからない。「笑い」がテーマのドラマなのだから、芸人についての描写は非常に重要なはず。
いや、全てはこれから、ということ? いよいよ寄席を買い取ることになる来週。おおいに笑わせてくれるのかどうか、展開に期待しましょう。