現在、日本人の実に2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなっている。もしも大切な家族ががんになったら、あなたががんになったとしたら、その時、どうしますか?著書『なんとめでたいご臨終』が発売5か月で7刷のベストセラーとなっている小笠原文雄さんと、『安楽死で死なせて下さい』を著した脚本家・橋田壽賀子さんが、病名や余命の告知の是非について話し合った。
橋田さんが「私は天涯孤独」と自らを語るのは、夫・岩崎嘉一さん(享年60)を1989年9月27日に亡くしたということもある。
橋田さんが岩崎さんと結婚したのは1966年のこと。当時岩崎さんはTBSの企画課長で、人望厚き熱血のテレビマンだった。定年退職後「岩崎企画」を立ち上げ、橋田賞の創設に動いていたが、1988年の秋に肺がんが見つかった。橋田さんは本人に告知しないまま看取る。
橋田:主人が肺がんだとわかったときはもう転移していて、お医者様には「長くて半年です」と言われたので、告知はしませんでした。今思えば、私のエゴイズムでしょうね。当時は、治らないのに告知したらかわいそうだと思っていました。
でも本当は自分がその現実と向き合うのがいやだったんです。本人に告知すると、本人はもうじき自分は死ぬんだという気持ちを抱えて生活することになる。そういう相手と、一日向き合っていられますか? 私は自信がなかった。自分をごまかすために言わなかったんです。
小笠原:病院勤務時代ですが、ぼくも抗がん剤を使う患者さんに、がんだと言えなかった時期があります。その病院では本人に告知をしないという方針だったので。
橋田:昔はそれで通りましたね。
小笠原:はい。それでも患者さんはうすうす気づきます。どうなんでしょう、ご主人もやっぱり、ご自分ががんだということはわかっていらっしゃったんじゃないですか。