【書評】『闘う文豪とナチス・ドイツ』池内紀・著/中公新書/820円+税
【評者】川本三郎
生まれ育った国が、自分の望む形とは違ってくる。国家権力は、国民の基本的人権を奪い、さらには体制批判する者を捕え、死へと追いやる。そうなったら亡命しかない。
一九三三年にドイツでヒトラーが政権に就くと、ドイツ国内から多くのユダヤ人やリベラルな言論人、芸術家がアメリカなどに亡命していった。『ブッデンブローク家の人々』『魔の山』を書き、一九二九年、五十四歳でノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンは、早くからナチスの台頭に危惧を抱いていた。ナチス批判を公けにした。
ナチスがそれを見逃すわけがない。ヒトラー政権が成立するや、彼らは、たまたま国外講演旅行に出ていたマンの帰国を禁止した。ナチスを批判する人間は国民と認めない。マンは自発的ではなかったが、その後、戦争が終わるまで、長い亡命生活を余儀なくされる。
本書は、亡命中のマンの苦しみを描き出す。愛する故国に帰れない。精神的苦痛は大きい。さらに生活の基盤を失なうから、経済的にも苦境に追いつめられる。生命の危険もある。亡命者の日常は心が安まることはなかったろう。