実際、亡命した文学者には自ら命を断った者もいる。シュテファン・ツヴァイク、ヴァルター・ベンヤミン。これは戦後になってだが、マンの子供で作家のクラウス・マンも一九四九年に自殺している。
著者は、苦悩の日々のマンを、その厖大な日記を読み込むことで描き出してゆく。亡命中も、ナチス批判を続けたマンの強靭な精神力に迫ってゆく。といっても、決して、英雄讃歌にはなっていない。むしろ、故国がナチスの圧制に押しつぶされているのを、外側から見ている観察者の心苦しさを見つめることも忘れない。
マンは、アメリカに逃がれ、戦後、カリフォルニアで暮す。そこで新たな苦難に遭う。赤狩り。米ソ冷戦の緊張下、アメリカのリベラルな人間が、次々に容共的と指弾されてゆく。民主主義国家アメリカで、自由の弾圧が始まってしまう。
絶望したマンはアメリカを去る。その後、ドイツに帰るが、結局、永住の地に選んだのは故国ではなく、「永世中立国」スイスだった。スイスに亡命出来ることは、幸運であったかもしれないが、生まれ育ったドイツについに帰らなかったマンは、それだけ絶望が深かったのかもしれない。
※SAPIO2017年11・12月号