例えば「豪・栄・道!」などと、力士を集団で応援する〈コール〉の是非だ。これに〈日本、チャチャチャ〉にも似た違和感を抱く氏は、〈個人対個人で勝負する相撲は、応援するほうも個人であるべきだ〉と書く。
「僕は輪湖(りんこ)時代の初代貴ノ花とか、あの千代の富士も手を焼いた花乃湖など前捌きの巧い力士が昔から好き。そうした好みを満たすのが、僕が社会に出た1988年に初土俵を踏んだ貴乃花でした。
新聞社を辞めたのも彼の相撲に対する一途な姿の影響ですし、2001年5月場所の優勝決定戦で貴乃花が武蔵丸を破り、小泉首相の〈感動した!〉に日本中が沸いた時は、貴乃花同様に僕も孤独を感じた。結局、彼は2003年に引退し、僕は白鵬の優勝記録更新が話題になった2014年9月まで、相撲を見なくなるんです」
そして2015年1月。久々の観戦に訪れた氏は、大鵬の大記録に挑む白鵬をよそに、〈日本人力士がんばれ〉と声援が飛ぶ光景に目を疑う。
「あの時は思わず〈白鵬! 白鵬!〉と叫んだくらいです。その空気は翌2016年の琴奨菊の優勝を経て、稀勢の里の横綱待望論に繋がっていく。僕には〈日本出身力士〉の優勝と日本国籍を持つ旭天鵬の優勝を区別する理由がわからないし、稀勢の里の早すぎる横綱昇進には当人が最も苦しんでいると思う。ところがファンやメディアにも差別の自覚は一切なく、無意識だから、怖いんです」
◆国技という概念もフィクション
その点、スー女は違った。一般には美形力士・遠藤や2012年創刊のフリーペーパー『TSUNA』が火付け役とされるが、鶴竜や千代丸をアイコン化し、稀勢の里を〈魔性の男〉と呼ぶ独創性には、なるほど舌を巻く。